もうひとつのサクセスストーリー

その話を私にしながら、彼は自分でも信じられないようだった。実際に自分が暴力的ではないことを選んだのだ。復讐によって正義がもたらされるわけではないし、暴力による結果は、その暴力に見合うものでないことは間違いなかった。彼はこのことを照れながらも誇りをこめて語ってくれた。

これだけでもサクセスストーリーなのだが、この話はそこで終わらなかった。

数カ月後、前夜に暴行を受けた若い患者が朝早く私の診察室にやってきた。午前中の半ばに予約なしの診察時間を設けていて、彼女はその直前にやってきた。受付係があわてて私のところに来て、若い女性が待合室にいると告げた。破れた服を着て、切り傷と擦り傷から血を流し、静かに泣いているという。私が走って彼女に会うために待合室に向かうと、彼女の向かいには、その次に予約の入っていた例のいわゆる常習犯がすわっていた。彼女が到着する前から彼はすでに待合室にいたのだ。

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「常習犯」のしたことは、すべて正しかった

長く刑務所で過ごし、規則を破り、暴力をふるって人生の大半を過ごしてきたこの男性が、本当に彼女の助けになってくれた。そして彼のしたことはすべて正しかった。彼女から距離を取って不安にさせないようにしつつ、もうすぐ助けが来るから危険はないし、大丈夫だからと安心させていた。私はこれをすべて入り口から見ていた。自分の予約時間を彼女に譲り、予約なしの最初の時間になるまで待合室に残っていた。

ポール・コンティ『trauma トラウマ 誰もが傷ついた心をもっている』(かんき出版)

さいわい、彼女は適切な治療を受け、自分に起こったことから、健康的な人生に変化させる方向に進んでいくことができた。さらにうれしかったのは、彼女とその“常習犯”とのやりとりが彼の人生に大きな影響を与えたことだ。

彼は自分が穏やかになっていると感じた。その女性の助けになれたこと(「普通の人ならやるようなことだ」と彼は言った)と、ごく自然に手を差し伸べられたことにも誇りを持っていた。そして、もし数カ月前にあの男を殺していたら、待合室で彼女を助けることなどできなかっただろうこともはっきりわかっていた。殺人を犯して逃げ延びていたとしても、あんなふうに手を差し伸べられる人間性が持てただろうか。