トラウマの優位性に流されてはいけない
生存のためにネガティブなものに注意を向けやすくなる傾向のために、トラウマはすでにゲームで優位に立っている。感情がからむ問題、とりわけ自分についての考えに関して複数の意見があるときにはいつでも、トラウマの優位性が目立ってくる。「私は親としてちゃんとできているのだろうか」とか、「その昇進に見合うような人間だろうか」などという考えだ。このような疑問が浮かぶときは、いちばん声の大きい意見に勝たせてはいけない。そういう意見はたいてい自身のトラウマを抱えた部分から出てきて、そのような部分は恐怖を抱き、恥の感情を抱えているからだ。
ここで示したようなエクササイズはいいものと悪いものを見抜く力を与えてくれる。動きを止めて、自分のなかにある別々のメッセージを意識し、時間をかけて、どれが本物でどれが偽物かを見極めれば、心のなかに最善の策を持つことができる。ただ流されていくのがよくないのは、ドライバーが混乱して方向がわからなくなっていることがあるからだ。運転席には最善の自分を乗せておきたい。こうすれば、トラウマから回復し、より高い思いやり、共同体、人間性へと自分を導いていける。
犯されなかった殺人
かつて暴力的な人生を送ってきた男性を担当したことがあった。長く服役していて、社会規範などはずっと馬鹿にしていた。自他ともに認める常習犯で、人生の後半になってから私に会いにきたのは、よりよい人間になろうとしていたからだった。孫ができたばかりで、それが人生を変える大きな動機になった。とても熱心にセラピーを受け、予約をキャンセルしたことは一度もなかった。
協力を始めて数カ月たったころ、別の男性がこの患者の家族の一員にひどい罪を犯した。私の患者はその男の家に押し入り、男を待ち伏せして、やったことへの腹いせに彼を殺そうと考えた。待っているあいだに、彼は自分がやろうとしていることについて考え、相手の家族と自分の孫にとってどういうことになるかに思いをはせた。しばらくそうやって考えて、自分がやろうとしていることについての自分の気持ちを味わってから、私の患者はその場を去ることに決め、男の家からこっそり抜け出し、帰宅した。