子どもに返るのも老いの特権
年をとると、子ども返りするといわれます。これも少し差別的な言い方だと思われるときがあります。高齢者にも尊厳がある、子ども扱いとは何ごとかというお叱りです。「おじいちゃん、おばあちゃん」と言わないで、名前を呼びなさいといわれています。
もちろん、「~ちゃん」と呼ぶような子ども扱いは、彼らの尊厳を傷つけますが、私は「子どもに返る」ことそのものはいいことだと思っています。
年をとると、実際にだんだんとケアされる立場になっていきます。いつまでも上から目線で人に指示する気持ちではいけません。「お願いします」という気持ちになっていってほしいものです。
小さいとき、風呂上がりに母に身体を拭いてもらい、天花粉をはたいてもらった記憶はありませんか。親にやさしく世話をうけたときは気持ちのいいものでした。
それから、少年少女になり大人になると、すべてに自立しなさいと教えられます。すると、自分のことは自分ですることが人間の尊厳のように思います。ですから、何かできなくなったら、「もう自分はダメだ」と嘆いて落ち込むのです。
ラクして笑っていられるほうがいい
子ども返りして、自分を少しずつ人の手に任せてみるというのも大切なことです。
いまの世界では、あまりにも自立がうたわれて、介護の世界でも自立支援に重きをおきます。介護度が悪化しないように、自立した生活ができるように支援するわけです。
実は私もそう考えていました。歩けないより歩けるほうがいい。リハビリが大事であると。そんな私の母が油断して骨折してしまいました。リハビリで無事に歩けるようになってほっとしていたら、その後だんだん歩けなくなって、手押し車を使って外に出ていました。
便利なものを利用して外に出るというのは大事です。仕方ないかと思っていたら、その後、母はまた骨折して入院しました。いまは車いすも利用しています。
「なんだか車いすは楽でいいのよ」
と、笑っている母を見たら、もうリハビリしろとは言えなくなりました。ラクでいいじゃないか。ラクで万歳。つらいリハビリをするより、もう何年あるかわからない人生です。ラクして笑っていられるほうがいいと開き直りました。
車いすの生活になるということは、人の世話になる量が増えるということです。介護度が上がり、サービスを増やさないといけません。
でも、だんだんとみんなが子ども返りして、自分の世話を人にゆだねていくことを受け入れていく、本人だけではなく家族もその気持ちが必要だなと思いました。