「反共産党」で共鳴した保守勢力と勝共連合

勝共連合が発足したのは1968年のことである。その目的は、冷戦下において、ソ連や中国などの共産主義勢力と戦うことにあった。また、日本国内については、日本共産党と対抗する意味があった。

だからこそ、もともと反共思想を持っていた笹川良一が名誉会長になり、岸信介や児玉誉士夫が創立メンバーとなったわけである。保守勢力と勝共連合は、反共運動を展開するという点で共鳴し、特に、国内で共産党を批判し、その勢力を抑えることをめざしてきた。

しかし、笹川はわずか4年で名誉会長の職を退き、勝共連合の運動から手を引いている。それは、彼が全日本空手道連盟の活動に力を入れ、共産圏との交流をしなければならなかったからである。笹川は、反共運動よりも共産圏を含めた国際交流に意義を見出した。そこには、1970年代に入って、左翼の政治運動、学生運動が退潮したことが影響していた。共産主義に対する危機感が薄れたのだ。

反共より経済的な実利を優先させる

1991年末にソ連が解体されると、長く続いた冷戦構造に終止符が打たれた。もちろん、中国や北朝鮮、あるいはベトナムといった共産主義、社会主義の国は存続しており、反共運動がまったく無意味になったわけではない。

だが、世界が共産圏と自由主義圏に二分され、その二つの勢力が拮抗きっこうし、世界情勢が両者の対立によって規定される状況ではなくなった。ソ連の解体は、特に当初の段階では、自由主義の勝利として歓迎され、それは反共運動の意義を大きく低下させた。

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そうした状況を踏まえ、旧統一教会は、宿敵であったはずの北朝鮮との関係改善に乗り出し、1991年には文鮮明が北朝鮮を電撃訪問し、当時の金日成主席と会談した。韓国の旧統一教会は、宗教団体であるよりも、営利事業の団体としての性格が強いが、それからは北朝鮮での事業に投資するようになっていく。経済的な実利の追求の方が、反共の理念に勝ったとも言える。