幻想の政治学は信者の頭の中に作られる
幻想の政治学は、それぞれの新宗教の教祖が説き、信者の頭のなかに形作られたものである。外からは見えないが、信者はそれに従って行動している。
その点を理解しなければ、新宗教と政治との関係はわからない。
もちろん、新宗教以外の集団の政治戦略にも、多分に幻想という面がある。カール・マルクスは、彼以前に唱えられた社会主義を空想的社会主義と呼び、観念的なものと批判したが、マルクス主義自体にもそうした面はある。
ただ、新宗教になれば、それが宗教であるだけに、目に見えない神仏という存在がかかわってくる。そうした超越的な存在は、マルクス主義では基本的に想定されない。宗教が考える政治は、一般の人々が考える政治とは大きく異なるのだ。
信者を駆り立てる「幻想の政治学」
戦後における新宗教と政治の関係を見ていく上で、幻想の政治学を考慮することは不可欠である。それは、現実とはまったく異なる世界を想定し、信者をその世界の実現へと駆り立てていく。
旧統一教会の信者に選挙活動を手伝ってもらった自民党の議員は、もちろんのこと、そうした幻想の政治学について知らないし、その存在に気づいていない。だが、信者は、選挙活動を手伝うことが神の側の勝利に貢献するものと信じている。
推薦確認書に署名した自民党の議員も、自らの行為がサタンの側を撲滅する行為に結びつくと考えられているとは想像もしていない。
だが、幻想の政治学は旧統一教会の信者の行動に影響を与えてきたわけで、それは幻想ではなく、現実のことである。