いつも同じ道を通らないと不安になる

――幼稚園からの帰り道。工事中のため、いつもの通園路は通れない。母親に「いつもの道は通れないんだって。回り道して帰ろう」と促されたF君だが……。

F君:「いやだよ! いつもの道で帰りたい」
母親:「だから言ってるでしょ! あの先は工事をしているから通れないの!」
F君:「でも、いやなんだよ……」
母親:「そんなこと言ったって、通れないものは通れないの!」
F君:「怖いんだよ!」
母親:「何が怖いのよ? 脇道を少しだけ歩いて、その後またいつもの道に戻るだけじゃない?」
F君:「違う道を歩くなんて……」
母親:「ほんの少しだけでしょ? ほとんど違わないわよ」
F君:「それが全然違うんだよ……」
母親:「さあ、行くわよ(手を引っ張る)」(なにが違うっていうのよ? 言ってることの意味がわからないわ)
F君:「……」(いつもの世界と全然違う世界に行くなんて……怖くて、怖くてたまらないよ……)

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「いつも同じ道を通りたい」の裏にある、不安と恐怖を想像するASDのお子さんなどによく見られる1つの傾向として、変化や変更を嫌うといったことが挙げられます。

その一例として「いつも同じ道を通りたがる。違う道を通るのを嫌がる」があります。

なぜそこまで嫌がるのか、その理由まではわからない定型発達者は多いかもしれません。定型発達者であれば、「単に道が違うだけで問題なく目的地に到着することができる」と特に不安を感じることもないでしょう。

なぜ、「いつもと違う道」に不安を感じないのか?

敢えてわかりやすい言葉を使うならば、定型発達者は「ぼんやりと情報収集をしているから」です。ここには脳にかかる負荷を減らそうとする“リミッター”の役割が関係しているかもしれません。

五感で得られる刺激のなにもかもが違う

では、“リミッター”をかけずに情報処理を行うASD者にとってはどうでしょうか?

「いつもと同じ道」と「いつもとは違う道」では、道幅も違う、標識も違う、建物も違う。お店から漂ってくる匂いも違うし、耳にする音もまったく違う。皮膚で感じる細かな振動なども当然変わってくる……五感で得られる刺激のなにもかもが違います。

つまり、「いつもと同じ道」と「いつもとは違う道」を、まったくの別世界のように感じている可能性があるのです。

定型発達者も、今まで自分が体験したことのない環境に足を踏み入れるときには不安や恐怖を感じますし、できることなら避けたいという気持ちも芽生えますよね。

周囲の人たちにできることの1つは、ASD者の行動を観察しながら、「もしかしたら自分の『単に違う道を歩くだけ』という感覚とは違って、『いつもとは違う別世界に足を踏み入れる』という感覚なのかもしれない」と、当事者の「感覚」に寄り添ってみることだと私は思います。