「身体近傍空間(Peripersonal space;PPS)」という言葉があります。「自分の手が届く範囲」あるいは「他者から容易に接触される範囲」と定義されていますが、「自分の身体と脳がイメージしている空間」といった表現の方が適切ですし、「身体近傍空間は拡張する」といえます。

どういうことか?

例えば、普段から杖を使い慣れた人は、歩いているときに杖の先に障害物があたれば「危ない」と感じられるようになります。杖の先までを“自分の身体の一部”と見なしている――そんな感覚です。

この感覚は、拡張性があります。自動車を車庫に入れるときのことを思い浮かべてください。車庫入れの上手・下手はありますが、自動車が壁にぶつからないように車を動かしていきますよね。このとき、自動車のボディ全体を、あたかも“自分の身体”のように捉えている――そんな感覚になっているわけです。

定型発達者は、その場に応じて、身体近傍空間をときには拡張するなどして適度に調節しています。なぜそんなことが可能なのかといえば、「自分」と「外界」との境界線の感覚がぼんやりしているからです。

相手との自然な距離がわからない

ところが、感覚過敏など感覚の問題に悩むASD者の場合、身体近傍空間の調節に手間どることが多いようです。感覚に敏感なため、「自分の身体はここまで」という境界線が、きわめてハッキリしているからなのだと思います。自分と外界との境界線は、まさに自分のボディラインそのもの。たとえ杖を持っていても“杖は自分の身体の一部”という感覚にはなりにくいわけです。

「自分の身体近傍空間はときとして拡張する」という感覚を持つ定型発達者であれば、「他人の身体近傍空間もときとして拡張する」という想像がしやすくなります。つまり、「これくらいまでは近づいてもOK」という距離はお互いの関係性で変わるということがわかります。

ASDの人には独特の距離感がある

自分と外界との境界線が拡張せず、まさに自分のボディラインそのものであると考えるASD者の場合、「相手との『間』」を意識せず、その結果として物理的距離も近くなってしまう傾向があるようです。

このような特徴が周囲から問題視されるようになるのは、異性に対して興味を持ち始める思春期が多いようです。

井手正和『発達障害の人には世界がどう見えるのか』(SB新書)
井手正和『発達障害の人には世界がどう見えるのか』(SB新書)

ASD児が異性に対して好意のコミュニケーションをとろうとする。その際、自分としては決して近づきすぎという感覚ではなかったのに、相手は「近すぎない? なんでそんなに近づくの?」という意識のギャップが生まれてしまう――といったケースです。

このとき、相手の表情やしぐさといった非言語(ノン・バーバル)の情報から「相手はちょっと嫌がっているんだな」と気づければいいのですが、非言語的サインが読み取り難い傾向があるASD者の場合、なかなかそれらのサインに気づけないこともあります。

ご家族などASD者の周囲の方々は、ASDの方の「身体感覚の特徴に由来する独特の距離の感覚」を知ることで、「見ている世界」の理解・共有が進みます。

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