最愛の家族を亡くした人の内心を慮ること
「安倍だけを悼むな」という安倍批判派もおかしいのだが、自戒を込めて言えば安倍政権の正当性やメディア批判を優先し、赤木さんの死を重く受け止めなかった安倍支持派も多かったのは確かだ。イデオロギーや政治思想が、「最愛の家族を亡くした人の内心を慮る」という最低限の人間性をも失わせるのであれば、これほど怖いことはないだろう。
訃報を受けて、諸外国から次々に安倍元総理の死を悼み、生前の功績をたたえるコメントが殺到しているが、こうした政治家としての評価や手腕と、人間的な姿のギャップが、安倍元総理を応援する側にとっても、批判する側にとっても過剰にならずにはいられない、何か心をかき乱すものがあったのだろうと推察する。
安倍元総理の功罪の検討や、政治手腕に対する批評などはもちろん冷徹に行わなければならない。その中で、昭恵さんに対する批判的言及が出てくるのも避けられるものではないし、冷静客観的、という前提はあるが、避けるべきでもないだろう。批判が批判である以上、抑圧されるべきではない。
しかし、である。まずは人間として、安倍元総理の逝去、そして「最愛の人」を失った昭恵さんの立場に思いを寄せられないものだろうか。