人生の修羅場を乗り越えるにはどうすればいいのか。
「あなたは私から離れてくださって結構です」
「チー」と呼んでいるシンガーソングライターの松山千春さんは、私の“心友”。つまり、生涯の心の友です。
人気稼業ですから、特定の政治家と親しくすることは、マイナスになりかねません。現に、空港や駅などでファンから声をかけられるとき、こんなことを言われるそうです。
「鈴木宗男なんかと、なぜ付き合うのか」「鈴木宗男と縁を切らないなら、ファンをやめます」
もちろん、その場しのぎで「わかりました。もう、あの人と付き合うのはやめますよ」と答えておけば、済んでしまう話です。
「だけど宗男さん、俺は言うんだ。『あなた、鈴木宗男の生き様、人間性を知ってるんですか。私はよく知っています。同じ故郷に生まれて、一緒に苦労しながら育ちましたから。私は鈴木宗男から離れません。あなたは私から離れてくださって結構です。私は私の努力で、新しいファンを開拓します』ってね」
千春さんは、そう話してくれました。
2人とも叩き上げの人生だった
千春さんも私も、北海道の足寄町の出身です。日本有数の寒冷地で、私もマイナス35度を経験しています。私も貧乏だったし、千春も貧乏でした。小学校の高学年くらいから、牛乳や卵を売って学費の足しにしていました。
2人とも叩き上げの人生です。貧乏な境遇を乗り越えていくガッツが共通していて、経験が大きな財産になっています。
足寄高校では私の8年後輩で、千春さんのお姉さんが私の2年後輩でした。ちなみに足寄高校の卒業式では、「蛍の光」の代わりに千春さんの名曲「大空と大地の中で」が式歌です。
ありがたいことに、2人とも町の発展に貢献したと認められて、表彰されています。特に千春さんはデビュー40年の年、名誉町民に推挙されました。北海道で成功した芸能人には東京へ移る人が多い中、千春さんは足寄から離れません。税金も足寄に納めていますから、偉いものです。
お父さんの明さんは、「とかち新聞」というローカル紙をたった一人で発行していました。町長批判も辞さない、田舎には珍しい反骨の新聞です。ピシッと筋を通す性格は、お父さん譲りに違いありません。
明さんは、中川一郎先生の秘書をしていた私の働きぶりを見て、「いつ、選挙に出るのか。早く国会議員になれ」と、思想信条を超えて励ましてくれたものです。