人生の修羅場を乗り越えるにはどうすればいいのか。参議院議員の鈴木宗男氏は「人との縁が何よりも大切だ。政治家になって40年、幾度となく人生の危機に直面してきた。それでもここまでやってこれたのは、心の友、松山千春がいたからだ」という――。

2003年10月18日、衆議院選挙出馬断念を表明した鈴木宗男前議員と一緒に会見する歌手の松山千春さん(北海道・釧路全日空ホテル)
写真=時事通信フォト
2003年10月18日、衆議院選挙出馬断念を表明した鈴木宗男前議員と一緒に会見する歌手の松山千春さん(北海道・釧路全日空ホテル)

「あなたは私から離れてくださって結構です」

「チー」と呼んでいるシンガーソングライターの松山千春さんは、私の“心友”。つまり、生涯の心の友です。

人気稼業ですから、特定の政治家と親しくすることは、マイナスになりかねません。現に、空港や駅などでファンから声をかけられるとき、こんなことを言われるそうです。

「鈴木宗男なんかと、なぜ付き合うのか」「鈴木宗男と縁を切らないなら、ファンをやめます」

もちろん、その場しのぎで「わかりました。もう、あの人と付き合うのはやめますよ」と答えておけば、済んでしまう話です。

「だけど宗男さん、俺は言うんだ。『あなた、鈴木宗男の生き様、人間性を知ってるんですか。私はよく知っています。同じ故郷に生まれて、一緒に苦労しながら育ちましたから。私は鈴木宗男から離れません。あなたは私から離れてくださって結構です。私は私の努力で、新しいファンを開拓します』ってね」

千春さんは、そう話してくれました。

2人とも叩き上げの人生だった

千春さんも私も、北海道の足寄町の出身です。日本有数の寒冷地で、私もマイナス35度を経験しています。私も貧乏だったし、千春も貧乏でした。小学校の高学年くらいから、牛乳や卵を売って学費の足しにしていました。

2人とも叩き上げの人生です。貧乏な境遇を乗り越えていくガッツが共通していて、経験が大きな財産になっています。

足寄高校では私の8年後輩で、千春さんのお姉さんが私の2年後輩でした。ちなみに足寄高校の卒業式では、「蛍の光」の代わりに千春さんの名曲「大空と大地の中で」が式歌です。

ありがたいことに、2人とも町の発展に貢献したと認められて、表彰されています。特に千春さんはデビュー40年の年、名誉町民に推挙されました。北海道で成功した芸能人には東京へ移る人が多い中、千春さんは足寄から離れません。税金も足寄に納めていますから、偉いものです。

お父さんの明さんは、「とかち新聞」というローカル紙をたった一人で発行していました。町長批判も辞さない、田舎には珍しい反骨の新聞です。ピシッと筋を通す性格は、お父さん譲りに違いありません。

明さんは、中川一郎先生の秘書をしていた私の働きぶりを見て、「いつ、選挙に出るのか。早く国会議員になれ」と、思想信条を超えて励ましてくれたものです。