当時は質問の機会すら与えられなかった
国策捜査で逮捕されて裁判を戦っていた私は、平成16年の参議院選挙は北海道選挙区から無所属で立候補して落選。平成17年に地域政党「新党大地」を結成して、衆議院選挙で北海道ブロックの比例候補として当選し、国政に復帰しました。
新党大地の国会議員は私だけですから、一人会派でした。
国会の本会議や委員会での質疑時間は、議員の人数に比例して各党へ割り振られます。かつては全体で与党2対野党8の配分でしたが、与党の要請によって3年前から3対7になりました。
議員が2人以上いれば会派と認められ、質疑の機会が得られますが、時間は限られます。一人会派には、機会さえ与えられないんです。私が自分の考えや主張を表す方法は、質問主意書しかありませんでした。
主意書への回答は国会答弁よりも重い
国会に提出された質問主意書は、議長が認めた上で内閣へ送付されます。担当の省庁を決めて答弁書を作成し、関係省庁との協議と内閣法制局による審査を経て、担当課長、審議官、局長、大臣までの決裁がなされ、内閣で閣議決定されるという手順です。答弁書は2週間以内に作成すると決められています。
国会での答弁はあとから訂正できますが、質問主意書は閣議決定を経て総理大臣の署名が入ったものですから、直しがききません。国会答弁よりも重いのです。
質疑はその時々の議題による制約を受けますが、質問主意書は国政全般について内閣の見解を求めることができます。質疑の機会が多い与党の議員は出さないのが不文律ですから、野党議員にとって武器です。私が自民党に所属していた頃には、共産党の議員がよく使っていました。
たくさんの質問主意書を提出した議員の歴代ランキングがあります。
立憲民主党の山井、逢坂、長妻各氏は、質問主意書を活用しています。自民党に所属する娘の鈴木貴子・衆院議員は、新党大地と民主党の野党時代に提出した本数です。
私の2156本は、衆院議員時代だけの数です。さらに、参議院議員になってから現在まで3年2カ月の間に、23本出しています。しばらく破られない記録でしょうね。