体力がないとなんにもできない

自分なりに、集中力が継続しないことが弱点だと分析している。ぐっと集中できるのは、月に数日程度で、その数日で辻褄つじつまを合わせていると思ってもらっていい。

最近ではその辻褄も合わなくなってきている。加齢が原因だろうか。

この年齢になると、普段の暮らしにおいて何がもっとも重要なのかが理解できるようになってくる。それはズバリ、「体力」だ。体力があればなんでもできる。逆に、体力がないと、なんにもできない。

私の場合、体力はとても少ないほうだと思うので、そのわずかな体力を上手に分散して消費していくことになる。常に全力でやっていたら、あっという間に底をつく。

困るのは、家事と子育てと介護だ。わが家には高校生の息子がふたりいるし、同居はしていないものの夫の両親は揃って後期高齢者だ。

家事、子育て、そして介護は残念ながら座っているだけでは何も進まない。だから、少ない体力を駆使して動くのだが……ほとんどの場合、私はあきらめている。

最初から全力で挑まないのは大人の知恵

仕事を中途半端な状態で放り出して休養を取り、好きなドキュメンタリー番組を観たりしている。嘘ではない。一日のうち私が、しっかりと仕事ができるのはほんの数時間だ。仕事が多いのに本当に心配と言われると申しわけない気持ちになる。

仕事も子育ても介護も、全力を求められるタスクだし、まるでそれが当たり前のように受け取られることもあるが、それは無理な話だ。ひとり何役こなせば許されるのか。私はスーパーウーマンではない。

だから、最初から全力なんて出さない。

できることだけをやる。

私ができるのは、自分なりの工夫を重ねること。

それでいいのだと開き直る。

今日できないことは翌日やる。あるいは、前倒しでやっておいた過去の自分からの贈り物をありがたく使う。ファストフードは大歓迎。家族には、できることは限られているということ、完璧な仕事は無理だということを、事前に伝えてある。

私だって楽したい。子どもに戻りたい! そう考えても罰は当たらない。

SNSで、悪気なく放たれる呪い

SNSを頻繁に利用している私だけど、ときどき、強い呪いのようなものの入ったリプライをいただくときがあるし、他の誰かに向けて書かれているのを目撃するときがある。書いている本人に悪気はない場合がほとんどだが、内容は震え上がるほど怖い。しかしどれだけ恐れていたとしても、被弾することを完全に避けるのは困難だ。

たとえば先日、わが家の大型犬がやんちゃで困ると(本当はそこまで困っていないのに、ついつい)書いたときのこと。

大型犬の命は短いので、いまを楽しんでください。

という内容のリプライが届いて驚いた。全然楽しめないリプライだ。

先日は、とある病気で入院し、退院したばかりの人に対して、以下のようなリプライがついていたのを目撃した。

私の祖母も同じ病気で亡くなりました。お大事になさってください。