第二次世界大戦を引き金に、政治信条の違いで蜜月は終焉

そんな二人の師弟関係が崩れたのは、第二次世界大戦でした。チャップリンは『独裁者』(1940年)を作り、全体主義に対して映画で闘い平和を訴えました。

対して、中西部の典型的な古き良きアメリカの家庭で育ったディズニーは、アニメーターたちのストライキを「アメリカの価値観を壊す共産主義」と決めつけて弾圧し、戦争が始まると軍事宣伝映画製作に邁進し、1943年にはディズニー社の売上の90%以上が政府から受注の戦争宣伝映画になるほどでした(しかし、戦争に協力しなかったアニメ会社がどんどん潰れていったことを思うと、苦渋の経営判断の結果でもありました)。

戦争を機に政治信条の違いが露わになっていったように、ビジネスにおいても両者の考え方の差が明らかになっていきます。ディズニー社はミッキーをはじめドナルドダックに白雪姫などどんどんキャラクターを増やしていき、ウォルトの死後は競合会社も買収して、今や『スター・ウォーズ』の権利まで手に入れたのはよく知られるところです。

写真=iStock.com/GreenPimp
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スケールを求めるか、ブランド価値を守り通すか

キャラクター・ビジネスのみならず、ディズニーランドや放送局、配信チャンネルなど多角経営を進めてエンタメの一大帝国となりました。一方で、たとえばミッキーマウスのキャラクターからは、初期の頃に持っていた、少しイジワルで一生懸命な性格はすっかり失われてしまいました。

大野裕之『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』(大和書房)

対して、チャップリンは、死後も遺族がチャーリーのキャラクターのイメージを守り通しています。ほとんどリメイク作品を許さず、イメージを壊されないように安易なキャラクター商品には許可を出さないので、ビジネスのスケールとしてはディズニー社には到底及びません。しかし、「心優しいチャーリー」のイメージは保たれ、今も社会的なインパクトを与え続けています。

スケールを求めるか、唯一のブランド価値を守り通すか。多角的経営を進めるか、あくまで本業を貫くか。ディズニーとチャップリンは両極端にして、それぞれの最良の例であり、両者の間にビジネスの全てがあると言えます。それは、常に弱者の視点を持っていたチャップリンとアメリカの理想を第一に想っていたディズニーの政治観の違いにも似て、社会を立体的に捉える複眼のようなものなのかもしれません。

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