「ミッキーマウス」はどのようにして生まれたのか。映画プロデューサーの大野裕之氏は「ウォルト・ディズニーはチャーリー・チャップリンに強く憧れて、彼をミッキーマウスのモデルにした。さらにビジネスにおいてもチャップリンから薫陶を受けて会社を大きく成長させた」という――。

※本稿は、大野裕之『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』(大和書房)の一部を再編集したものです。

観覧車
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はじめて稼いだお金は「チャップリンのものまね芸」

ウォルト・ディズニーは小さい頃から12歳年上のチャップリンに憧れていました。俳優になりたかった彼は、小学生の時に地元の「チャップリンものまねコンテスト」で優勝して賞金を得ています。のちに世界一のアニメーション作家になるディズニーが、エンタメの仕事ではじめて稼いだお金は「チャップリンのものまね芸」だったわけです。

「私はチャップリンのすべてのギャグを真似した。彼の映画は、ただの一本も見逃したことはなかった。彼は私のアイドルだった。彼の喜劇、その繊細さ、あれやこれやに私は常に感嘆していた」とディズニーは語っています。

しかし、ディズニーは早々に俳優の才能に見切りをつけ、アニメーターの道を歩むようになります。チャップリンが次々と世界的ヒット作を発表していた1920年代に、ディズニーはアニメーションの製作を始めました。当時、『しあわせウサギのオズワルド』(1927年〜)シリーズがそこそこのヒットを飛ばしたのですが、その著作権をすべてユニバーサル映画社に取り上げられてしまいます。

しかし、失意の中で生み出したミッキーマウスが大ヒットを記録。彼もハリウッド・セレブの仲間入りを果たしました。