「自分の作品の権利は他人の手に渡しちゃだめだ」

そしてついに1930年代初頭、ディズニーは憧れのチャップリンに初めて面会を果たしました。その際に、喜劇王に「僕も君のファンだよ」と言われたことで彼は有頂天になります。同時に、チャップリンは自分の他に若い天才が現れたことを見抜いて、現実的な忠告も忘れませんでした。

「だけど、君が自立を守っていくには、僕がやったようにしなきゃ。つまり、自分の作品の権利は他人の手に渡しちゃだめだ」

ウォルトはこの忠告を生涯守りました。今もディズニー社は作品の著作権やキャラクターの権利を厳格に守って活用していますが、そのきっかけはチャップリンの一言だったのです。

チャップリンをモデルにして生み出されたミッキーマウス

チャップリンに憧れショービジネスの世界に入ったウォルト・ディズニー。彼が作り出した唯一無二のキャラクター、ミッキーマウスは憧れの喜劇王をモデルにしていました。ディズニー自身は1931年に雑誌のインタビューでこう語っています。

ミッキーのアイディアについては、私たちはチャップリンにかなりの借りがあると思っている。私たちは、訴えかける何かが欲しかった。それで、彼の切なさのようなものを持つ、小さくてつつましやかなネズミを思いついたんだ。できる限りがんばろうとする、あの小さなチャーリーのような……

ミッキーの姿形もチャーリーをモチーフとしていました。山高帽の代わりに黒い大きな耳。放浪者のきつい上着とぶかぶかの大きなズボンは、ミッキーの小さな上半身と丸くて大きなお尻のズボンになっています。極端に大きな靴を履いている点も同じ。なにより両者とも小さなヒーローで、弱者の視点が大衆の共感を集めたのです。

『街の灯』の併映作品にミッキーの短編映画を抜擢した

チャップリンはディズニーの才能を見抜き積極的に支援しました。『街の灯』の併映作品として、ミッキーマウスの短編映画を選び、チャップリンが創設した配給会社ユナイテッド・アーティスツでディズニー作品を配給。この時、画家のジョージ・コーリーは「ミッキーマウスに花束を」と題して、チャーリーがミッキーに花を渡すイラストを描き、「オレゴンニュース」紙に掲載するなど、両者のコラボは大きな話題を呼びました。チャップリンの応援のおかげで子供たちだけでなく、広い層にディズニー作品の人気が波及していきました。

世界初のカラーによる短編アニメ『花と木』(1932年)がアカデミー賞に輝くなど、映画界で確固たる地位を築いたウォルトは、さらなる挑戦に乗り出します。初の長編アニメ『白雪姫』(1937年)の企画です。