敵、味方のレッテルを貼り分断をあおる現在の政治

「政権交代が常態化する」とは、ほぼ全ての政党が政権与党と野党の立場を経験し、いつ立場が入れ替わってもおかしくない、ということだ。目指す社会像を異にする与野党が、国会などで激しく論戦を戦わせるのは基本中の基本だが、一方で与党も野党も「いつか相手の立場に立つ」ことへの想像力を持ち、相手の立場への最低限の理解や共感を忘れない。いつ与野党が入れ替わっても困らないよう、政権与党は手前勝手な権力行使のありようを自制し、野党も全く実現不可能な極度に無責任な主張は手控える。

「政権交代可能な政治」という言葉に、筆者はそんな理想像を描いていた。政権与党のリーダーが野党にまともに答弁しないどころか、質問者を罵倒するなどあり得ないと。

しかし、実際の政権交代は、そんな政治とは全く逆の結果をもたらした。

2009年、民主党政権の発足で政権から転落した自民党は「野党の立場を知り自らを律する」どころか「批判ばかりの野党」として、民主党を政権から引きずり下ろすことに血道を上げた。3年後に政権を奪還すると、今度は「二度と政権交代を起こさない」ために、あらゆる政治的資源を総動員し、激烈な野党批判を繰り広げた。

「悪夢の民主党政権」と声高に叫ぶ政権与党の姿は、およそ「1強」の余裕からほど遠いものだった。呼応するように野党側の言葉も尖り、国論は二分。支持者も含めて政権の「敵」か「味方」のレッテルを貼られ、ネットなどで激しい罵倒合戦が展開された。政敵への敬意も共感も消え失せた。

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野田氏の演説は「分断」の空気を鎮めた

そんな政治の頂点にあった安倍氏が命を奪われた。あのような形で生命が絶たれたことは、本当に痛ましい。しかし同時に、国民の誰もが政治的立場の違いを超えて安倍氏を悼むなかで、第2次安倍政権の発足以降10年にわたった殺伐とした政治状況を冷静に清算し、新しい政治のかたちを模索する機会とすることも可能だった。

国葬に求められていたのは、本来こうした役割だったはずだ。ところが前述したように、岸田政権はその稚拙な対応によって、むしろ分断に拍車をかけた。

野田氏は1本の追悼演説で、こうした荒れた空気を鎮めることに成功した。

対立する政治勢力が、共に相手の立場をくむ力。そして「真摯しんしな言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげて」いくことの大切さ。

この10年間忘れ去られていた、本来あるべき政治の姿を、野田氏は衆院本会議の議場で、渾身の力を込めた言葉で思い起こさせた。自民党から共産党まで誰もが納得できる言葉を生み出せる野田氏にしか、こんな芸当はできなかったと思う。