100人近く押しかけた記者を前に「本当に死ぬな」
――八百長疑惑のほうは?
【村井】同じ日の正午に広島と川崎の社長を呼んでヒアリングをしました。弁護士に取り調べのやり方を教えられて。だからこの日は1時間刻みで、浦和の社長に制裁を通告、広島と川崎の社長のヒアリング、そして記者会見と、映画のカーチェイスみたいな、まるでサーカスみたいな状況になっていったのです。
リクルート時代に経験した記者会見は、スーツを着た経済部の記者が数人くらい、という感じでしたが、この日はジーンズをはいた運動部の記者や社会部の記者も含めて100人近く押しかけてきた。もともとあがり症で、人前で話すのが苦手だった私は、膝がガクガク震えて「本当に死ぬな」と思いました。
とんでもなく緊張していたので、大きなミスもしました。差別事案の記者会見で「こんなことをしていたら日本のJリーグが香港みたいになってしまう」と口走ったのです。チェアマンになる直前まで、私はリクルートの仕事で香港に駐在していて、香港リーグは過去において「八百長の巣窟みたいなところだった」というイメージがあった。私は頭が真っ白になっていたので、人種差別問題と八百長問題が混線してしまったんですね。記者さんたちがポカンとしているので、間違いに気づきました。
色紙に残した「サッカーの神様が私を試している」
――どうやってその緊張を乗り越えたのですか。
【村井】カメラマンに囲まれながら「この緊張はいったいどこから来るのだろうか」と考えたんですね。「できるかできないか、ギリギリの時にしか緊張しない」と私は認識しています。「差別事案に関して、何ができるのか、何ができないのか?」と自問自答していたんですね。「サッカー界から差別を無くしていくことができるのか?」と問われているんだと理解しました。
「ああこれはサッカーの神様が私を試しているんだな」と。村井という人間にJリーグのチェアマンが務まるのかどうか。「俺はいま、神様に試されているんだ」と確か家に帰って妻ともそんな話をしました。
それで3つのことを決めたんです。まずは繰り返しになりますが、逃げないこと。先程もお話ししたように、トップの立場を利用すれば、逃げたり時間稼ぎをしたりすることもできますが、とにかく逃げない。
次に自分の気持ちを自分の言葉で話すこと。知ったかぶりをして評論家のように話していては思いが伝わらない。結果として人種差別問題と八百長疑惑を取り違えるミスはしましたが、私の当事者意識、「これは私の問題です」という気持ちは伝わったと思います。