「日本人最高の投手」とはいったい誰なのか。野球解説者の谷繁元信さんは「僕が対戦した中では、ダルビッシュ有が圧倒的ナンバーワンだ。11種類もの球種を持ち、そのすべてが勝負球になるのは脅威で、打てそうな雰囲気がまったくなかった」という――。

※本稿は、谷繁元信『勝敗はバッテリーが8割』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。

ホームベースの上にグローブとボール
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松坂大輔の意中の球団は「横浜」だった

1998年に横浜高校の松坂大輔が甲子園春夏連覇を果たした。その秋、横浜ベイスターズが日本一。松坂本人が「意中の球団は横浜ベイスターズ」と語っていたドラフト会議では、日本ハム・横浜・西武の3球団の指名が競合した。

相思相愛――正直、僕は「入ってほしいな」と思っていたし、ベイスターズが当たりクジを引いていたらバッテリーを組めていたが、残念だった。

西武に入団した松坂は、1999年から2001年まで史上初の高卒3年連続最多勝に輝いた。

僕と松坂の初顔合わせは、2004年の日本シリーズだった。レギュラーシーズン2位から勝ち上がってきた西武と、セ・リーグ覇者の中日が激突。4勝3敗で西武が日本一になった。松坂は第2戦の敗戦投手、第6戦の勝利投手だった。

第2戦、まず僕は松坂から勝ち越しとなる押し出しの四球を選んだ。次の打席では黒星をつける勝ち越しタイムリーを放った。狙い球をスライダーに絞って、初球から打って出た。第6戦でも松坂からヒットを放っている。

松坂は、コントロールはそんなにいいほうではない。ストレートは迫力と威力があった。スライダーは曲がりが大きいし、キレがある。

2006年のWBCでは、ブルペンで松坂の球を受けた。肩・ヒジ・手首の使い方が巧い、器用な投手だと思った。

捕手目線でいうと、腕を振って少したってから球が出てくるような感じだ。松坂本人は「理想の自分の球というのは、初速と終速の差が5キロしかない160キロ」と語っていたらしい。まさに「球離れが遅いスピードボール」のイメージだ。

打者目線では、腕の振りとその球の勢いが合わなくて、タイミングが取りづらいかもしれない。力感あるように見える投球フォームだが、実際はそんなに力感はない。でも迫力を感じる不思議な投手――それが僕の松坂に対する印象だ。

平成の怪物と呼ばれるワケ

2007年はレッドソックスで15勝を挙げ、ワールドシリーズも制覇。2008年は18勝3敗で貯金15。2009年はWBCで2大会連続MVPに輝いた。

しかし、2011年に右ヒジを痛め、トミー・ジョン手術を受けた。以降は故障に悩まされることとなる。現役23年間の実に半分がケガとの闘いだった。

僕が2016年を最後に中日監督のユニフォームを脱いだあと、18年に中日で松坂は6勝を挙げた。そういう意味では僕と松坂は、残念ながら縁がなかったのかもしれない。

日米通算170勝。「平成の怪物」と呼ばれた本来の実力からすれば、もう少し勝てたのではないかという思いもある。

だが松坂は、1998年春夏の甲子園大会、2002年・04年のパ・リーグ、04年の日本シリーズ、07年のワールドシリーズ、06年・09年のWBCと、すべてのカテゴリーで優勝経験を持つ。やはり「平成の怪物」と呼ばれて間違いはなかった。