言葉に棘がある人は、心に炎症を秘めている
何気ない会話をしているだけなのに、嫌味や余計な一言を発する人がいます。発する言葉にいちいち棘があるのです。
生きるということは、心に何かを思い、思ったことを口に話し、身体で行為することの連続です。
言葉に棘があるということは、心に棘があるということです。
バラの棘は、自分を守り、相手を攻撃するためにあります。同じく自分に自信がない人は、棘をもって自分を守ろうとします。それが嫉妬です。
また、心に怒りを持っている人の言葉にも、棘が生じます。発する言葉が攻撃的になるのです。
問題は、心中に秘めている嫉妬や怒りに、自分では気づかないことです。
私はこの現象を、「瞋のタレ流し」と呼んでいます。
瞋とは仏教の言葉で、怒りのことです。嫉妬も怒りの一種です。
自分に自信がないが故に他人に嫉妬する。心に怒りを秘めているが故に、発する言葉が刺々しくなる。何気ない会話をしているだけなのに、嫌味や余計な一言を発する人は、心に怒りを抱えているのです。
また、怒りは心の炎症だとも言えます。小さな炎症であっても、続けば心は疲弊します。疲弊すればするほど炎症は酷くなり、発する言葉の棘も大きく、多くなってしまうのです。
人間関係をギスギスさせる話し方の根本原因
これら、「できるだけ話したくない」と思われる人の3つの共通点は、実は「話し方」の問題だけではなく、その人の心の問題を表しています。
仏教では、心を水のようなものだと捉えています。
水にお茶の成分が溶けていれば、お茶の味がします。コーヒーの成分が溶けていれば、コーヒーの味がします。
同じように、心に「我」が多く溶けていると、その人の話し方は、自ずと「我」を主張する、聞き辛いものになります。
心に「慢」が多く溶けていると、その人の話し方は、自ずと「慢」に毒された、聞き辛いものになります。
心に「瞋」が多く溶けていると、その人の話し方は、自ずと「瞋」に満ちた、聞き辛いものになります。
それらが人間関係をギスギスさせる話し方につながってしまうのです。
人は人の間でしか生きていくことができません。だから人間と呼ぶのです。そして、人間は言葉によってつながり、言葉によって支え合っています。
当然、コミュニケーションが下手な人は、生きづらくなります。
人間関係をギスギスさせる話し方をしてしまう人は、話し方の前に、心がギスギスしている可能性があることを、忘れてはなりません。
人間関係を円滑にする話し方。人間関係をギスギスさせる話し方。
どちらも、その言葉を発する人の「心」によって決まります。
そのことを知って、己の心を清らかに、穏やかに保ちたいものですね。