認知症という病の「ものすごく厄介なところ」

そもそも性格の変化を説明したところで、普段の母を知らない主治医がその変化の度合いを理解できるはずもない。

これががんや内臓の病気だったら、検査ですぐに明らかになる。「大したことはない」といくら口で否定しようと、深刻な変化があれば即発見することができる。

ところが認知症の場合、画像診断や血液検査などで診断が比較的容易な病気とは異なり、医師の診断基準の主体となる目に見えやすい変化は現れにくい。

写真=iStock.com/Morsa Images
画像診断や血液検査ではわからない

明らかにそれとわかる基準に乏しかったのが当時の状況だった。

これが認知症という病の、ものすごく厄介なところなのだ。

現在は、こういうことはないかもしれない。当時の母のような症状が見られる場合、認知症の可能性を疑うことが当たり前になってきている。

森田豊『医者の僕が認知症の母と過ごす23年間のこと』(自由国民社)

最近では、認知症の初期段階である「軽度認知障害」という概念も広まりつつあり、当時に比べたら格段に早期発見の割合は高くなっていると思う。

でもこの当時はまだ、軽度認知障害を知る医師はほとんどいなかった。ようやく海外で話題に上り始めたばかりで、その情報を認知症の専門医ではない僕も知らずにいた。

だから僕は、当時の主治医を責めるつもりはない。できる範囲で、誠実に母を診てくれていたと思っている。

思うことがあるとすれば、なぜもっと早く母の異変に危機感を抱かなかったのか、どうしてもっと積極的に検査を勧めなかったのかという、自分自身への反省と後悔だけである。

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