「収穫前の棚田に船を浮かべさせてほしい」
そんな中で苦労したのは、棚田の地権者に収穫前の棚田の上に北前船に見立てたセットを置かせてもらう許可を取る作業だった。収穫前の稲の上に物を置くと稲に傷がつき、商品価値を落としかねないからだ。私はなるべく稲に傷がつかずに船を浮かべる方法を模索すると共に、地権者への説明に奔走した。
私は、大石さんと、地域おこし協力隊として佐渡に暮らす村山凛太郎さんと、棚田の地権者の家を全て周ることにした。ただでさえ、保守的な地域の人々に、彼らが1年かけて大切に育てた稲の収穫の時期に船を浮かべ、マストをたて、その中にたくさんの芸能団体の人々を入れさせてほしいと言うお願いはあまりにも心ないお願いなのではないかと自分自身でも思っていた。
地権者の最初の反応は「何をどうしたいのかイメージできない」というものだった。当たり前だ。私はその時、作品の内容と言うよりは、私という人間をみられている気がした。
地域の人たちが集まる集会にも出向いた。多くの人が集まる中でこのプロジェクトの説明をするのは、お笑いに無関心な人々が集まるアウェーなステージで一ネタするようなものだった。私は縮こまりながらも、「全てはこれからだ」という気持ちでコンセプトと、簡単なラフスケッチは描いて精一杯作品制作の意義をお伝えした。
だが、多くの農家にとっては自分の田んぼの上にアート作品を置くことなど初めての経験であり、「そんなことをされては稲が傷つく」となかなか首を縦に振ってくれなかった。
大石さん自身は新宿の歌舞伎町でスナックを20年あまり経営していたこともあり、私のようなよそ者にも好意的に接してくれた。だが、大石さんによると農家は保守的な人が多いらしい。よそ者は受け入れがたく、新しいことをするのを極端に嫌う傾向にあるということだった。
そんな状況で、新しいことをやればやるほど反発が生まれていく。集落では「また大石がめんどくさいことを始めた」と思われているようだった。今回は私がとびきり面倒な相談を持ちかけてしまった。私のコンセプトに共感し、集落の反発を食らいながらも私の盾になって最後まで私をサポートしてくれた大石さんには感謝しかない。
「傷んだ米は保証する」という問題ではない
私自身、1年間大切に育ててきた米の上に船を浮かべさせてくれというお願いは胸が痛かった。
ともあれ、何度も何度も、彼らの玄関先まで個々に足を運び、集落の集会でもみんなが集まった時に伝えることを繰り返した。回覧板も何度も回した。
傷んだ米は保証すると伝えたが、「そういう問題ではない」と激しく怒られることも多々あったし、やんわりと断られることもあった。中には、話さえ聞いてくれない地権者もいた。
とは言え、逆の立場だったら私もきっと受け入れなかったかもしれないし、彼らの気持ちを否定することはできない。
今回は、胸が痛いプロジェクトだ。