地域を出たことのなかった大獅子を出してくれることに

そんな絶望的な状況の中、岩首のとなりの集落の松ヶ崎という地域に住む菊池高根さんという方を紹介してもらった。

彼は、相談してから3日後には彼の地区である松ヶ崎、多田、浜河内、浦ノ川内の4集落の代表を松ヶ崎神社近くの会館に集め、私のために「みんなで参加しよう」と声を大にして呼びかけてくれた。そこには、この集落独自の呼び方がある祭りの関係者のトップ達が集結していた。

鬼太鼓として活動する若人わけしたちに参加を依頼するために、その場にいた若人の代表である若人年行事わけしねんぎょうじに依頼。氏子総代(氏子の代表)に話をつけ大獅子の参加を宮委員(神社とつながる大獅子のことを決める組織)に話をどんどんつけていってくれた。

私もその場でプレゼンさせてもらったが、皆は追い詰められた私を応援しようと地域から出したことのない大獅子をだしてくれることになった。

天から降りてきた蜘蛛の糸のように思えた。

大幅に予算オーバーだが中途半端な作品にはしたくない

最後までクリアできなかったのが予算の問題だ。

当初のプランは地権者の許可も出ず、実現することはかなわなかった。

北前船に立てるマストの高さや帆の幅も、安全性の問題でテストの結果、理想からどんどん遠ざかり小さくなっていった。

計画は何度も変更され、設計図も何度も書き直した。船だけでも51隻から23隻に減った。予算の関係で船の数も大幅に減ってしまったが作家としてこれ以上減ったら表現として成立しないというギリギリまで研ぎ落とした。それでも軽く見積もって数百万円は足りない状況だった。「クラウドファンディングでなんとかしよう」ということになり、「足りない分は私自身が責任を持つからやらせてほしい」と話して、予算が足りないまま続行することにした。

作家というのはなんとも、不条理な生き物である。だが、ここまで時間をかけて地権者の許可をとり、地元の方々と一緒に作ってきた作品が感動のない中途半端なものだったらどうだろうか。私が佐渡のためになると訴え、交渉してきたものが台無しになってしまう。私の純粋な制作意欲もあるが、佐渡の素晴らしい棚田と芸能を島外の方々に広く伝えるという約束も叶えることはできなくなるだろう。このような、信念から、予算面で不安な状況を抱えたまま、撮影の1週間前から棚田での準備は始まった。