「滅びる美学もある」という考えの農家も

その活動の一つが、行政などへの呼びかけだ。

棚田は、日本の景観保全のために行政と一体になって残す取り組みをしなければならない。実際に彼の棚田はアウトドアメーカー「スノーピーク」(新潟県三条市)の協力に加え、美しい景観を求めて訪れる観光客を受け入れることによって、米を収穫するだけでない活用法を開拓し、それによって得られた収益を棚田の保全活動に充てている。こうした活動は国からも認められ、現在では国からの支援金も出るようになっている。

だが、その金額だけでは次の世代の後継者はとても生活することはできない。今のままではこの美しい光景が消えることは確かな事実であり、時間の問題だった。

加えて、ここ岩首集落には、大石さんのような考え方の持ち主ばかりではない。中には「滅びる美学もあるんだ」という地権者もいて、集落全体で一枚岩にはなりきれない事情もあった。

岩首昇竜棚田の風景
岩首昇竜棚田の風景=著者撮影

実際に海外の企業が岩首集落に興味を持ち、その景観を生かして観光地化する話もあったが、一部の住民の反対もあり話は止まったままだという。

そんな話を聞きながら山頂に着くと、海から続くなだらかな棚田に美しい稲穂が風に揺れていた。

「佐渡は流刑地ではなく文化が運ばれる島」

私は棚田の展望小屋に立った時、佐渡の歴史や光景が重なり合い、秋の収穫の稲穂の上を北前船(注)が金山により佐渡が栄えた時代に海からさまざまな文化を運んでいる光景が浮かんだ。

(注)江戸時代中ごろから明治30年代にかけて、大阪と北海道を日本海回りで往来していた商船の総称。

そして、「佐渡は、流刑の島ではなく、宝船に乗って文化という宝が運ばれてきた島なのだ」というキャッチコピーが浮かんだ。

そして、今ならまだ残っている棚田も、伝統芸能も表現できる。そう思った。

佐渡における「Manda-la」が決まった瞬間だった。

それからは、私の暮らす東京と佐渡島を往復する日々だった。

佐渡を何度も訪れる中で、佐渡での「Manda-la」のコンセプトが徐々に具体的になっていった。

私の想定はこうだ。

北前船に見立てた船を棚田に浮かべて、そこに、佐渡の多種多様な芸能団体に乗ってもらうことで、佐渡は島流しの島ではなく、文化という宝が流れてきた島であることを表現する――。