その人物の人生や関係性を1枚の写真で表現する「Manda-la」
私の写真家としての代表作である「Manda-la」は、ある人物を中心として、その人に関わる物や人々を周囲に配置する。それを1枚の写真におさめることで、その人物の人生やそこに映り込むさまざまな関係を一つの世界として凝縮して表現する。
合成は一切しない。
私の「Manda-la」シリーズの制作は2011年の東日本大震災を機に一気に撮影規模が広がり、以来、福島、気仙沼、京都など日本各地を舞台に、入念なリサーチと現地の人々との対話を重ねて作品を制作してきた。
2014年には、広島の原爆ドームを背景に500人のボランティアとともに1枚の写真を撮影。キプロスでは、首都で分断し、停戦状態にある国で「Manda-la in Cyprus」という作品を手掛けた。たった1枚の写真ではあるが、数年越しでその地の歴史や背景をリサーチし、プランを立て、撮影する土地の関係者を説得し、資金を集め、撮影するというとてつもない労力がかかっているのだ。もはや写真というより大規模なプロジェクトと言っていい。
地域ごとに多くの伝統芸能が現存する佐渡
2019年9月24日、私は現地を視察すべく佐渡島に向かった。
睡眠不足からかフェリーで爆睡し、目覚めると島がみえるところまで近づいていた。これからさまざまなことが起こるんだろうと、ボーッとしながらフェリーの周りを飛ぶウミネコと曇り空を見ていた。
私はこれまで佐渡島を訪れたことはなかった。私の中の佐渡島の印象といえば、世界文化遺産の登録を目指している金銀山があり、過去にはさまざまな人々が島流しにあった場所というくらいだった。
当時の人口は約5万4000人。日本では本土4島と北方領土を除けば沖縄の次に大きな島である。
到着後、市役所職員の川上高広さんらに迎えられた私は佐渡の歴史に詳しい新潟大学名誉教授の池田哲夫氏を訪問した。
彼が見せてくれた資料は私をびっくりさせた。
と言うのも、佐渡は、沖縄の次に大きな島だが、沖縄でも見たことないようなさまざまな伝統芸能が地域ごとに多く存在していたのだ。
能、歌舞伎、文弥人形、説教人形、鬼太鼓、佐渡おけさ、大獅子、小獅子、春駒――。
古典芸能に関してあまりに種類が多く、どこを切り口にしてよいかわからないが、私の興味をそそるには十分だった。
その中で特に、私の目を引いたのは能だ。
能舞台は佐渡に限らず全国各地にあるが、その数は日本の人口比率に対して佐渡が最も多いという。実際、佐渡には美しい舞台がたくさんあった。
また、迎えに来てくれた川上さんのように、民間人が伝統を絶やさないようにと古来から伝承し続けているのだ。能に興味を持った私は、次のステップとして、川上さんとその息子の師匠である宝生流師範である祝忠生先生に会うことにした。