年収半減の“滅私奉公型”だが富裕層に囲まれていた

ちなみに学生が支払うべき授業料は1カ月2円、寮代が年額2円50銭、食費が毎月6円程度でした。1カ月8円あまりの学費は、かなりの上流階級向けの印象があります。

現代日本では、家庭全体の教育費を総収入の5~10%に抑えるのが“理想”とされるようです。しかし、この水準で考えると、女子英学塾に娘を通わせるには、父親が国会議員だったとしても「やや厳しい」といえるほどに学費は高額でした。

明治22年の記録で、日本の国会議員の月俸は67円です。女子英学塾が開校した明治30年代、大卒のエリート男性の初任給が銀行員35円、上級公務員50円。生徒が集まらず、学校経営が長い間、厳しかったのはある意味当然かもしれません。

津田は英語教師として女子英学塾で働きましたが、学校からは給料を受け取らず、空いた時間に大富豪・岩崎家などの家庭教師をして生計を立て、なんとか学校経営を続けていきます。

経営が安定し、津田が学校からの給金を受け取れるようになったのは、女子英学塾に専門学校の認可が下りた明治36年(1903年)以降のこと。しかしこの時でも彼女の年収は300円(=300万円)で、「華族女学校」時代の半額にも満たないものだったそうです。

このように津田は“滅私奉公型”でしたが、彼女の家族、親戚などには富裕な人々が多かったようです。晩年の津田が病気になった時には、「療養用」として土地・建物代が合計1万5600円(=約1億5600万円!)もする豪邸が新築されます。

しかも、場所は高級住宅街として知られる品川の御殿山。また、鎌倉などにも別荘がありました。

理解ある裕福な人々に囲まれていた津田は、本人の収入が比較的限定されていても、豊かな暮らしができていたのかもしれません。

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