※本稿は、堀江宏樹『偉人の年収』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。
大富豪・渋沢栄一の最後の子供
令和6年(2024年)、日本の紙幣のデザインが約20年ぶりに刷新されることになりました。新1万円札の“顔”に選ばれたのは渋沢栄一。500以上もの起業に携わり、実業界を引退した後は600以上の福祉・教育事業に全力投球していた、凄まじいバイタリティの持ち主です。
渋沢は、「企業が利益を追求するのは自然なことだが、お金儲けのベースには、常に道徳心がなくてはいけない」とする「道徳経済合一説」を唱えていました。
「会社経営の醍醐味は多くの金や権力を独り占めできる点にある!」と言って憚らなかった岩崎弥太郎など、明治時代の一般的な大富豪とは一線を画する立ち位置にいたといえます。
そういう意味では1万円札の“顔”にふさわしい人物なのですが、これまで何回も候補になっては落選するのを繰り返していました。
理由としては、ヒゲがほとんど生えない体質の渋沢の顔面はあまりにツルツルとしていて、従来の印刷技術では偽札が作りやすいと危惧されたから、などと語られています。
しかし本当のところは、その生涯の大部分で華やかな女性関係を持ったことが響いていたのではないか、と筆者は考えてしまいます。
渋沢が認知した最後の子は、彼が68歳の時に生まれています。当時の平均寿命は今より短いので、現代の年齢感覚だと80歳手前でしょうか。認知しなかった子を含めると100人ほど子どもがいた……という“伝説”の持ち主でもあります。
自分の事業の後継者を身内に限らなかったのが渋沢の特色だとよくいわれますが、その中にはなんらかの理由があって認知できなかった子も含まれていたとか、いないとか。
生前に出版された公式伝記といえる『青淵回顧録』に、彼は非嫡出子の名前も堂々と記させています。子どもたちを平等に扱い、世間に対しても平然としていた渋沢は、破格の器の持ち主でもありました。