そこで新たに思想的軸を立てて大同団結への道を開こうとしました。それが「勝共理論」です。カール・マルクスの思想としての共産主義は、『資本論』をはじめとした経済理論から、唯物史観という歴史観まで包括する総合的な思想体系になっていて、日本でも多くの若者が魅了されていったという経緯があります。そこで、これをただ感情的に批判するのではなく、思想としての限界点や問題点を明確に指摘していこうというのが「勝共理論」です。これが確立されたことを背景として、1968年4月に国際勝共連合の旗揚げをしました。

「共産主義の勢力と戦える政治家の活動を応援」

——そのような保守団体を設立したことから、現在のような自民党との“ズブズブの関係”が始まったということでしょうか?

【梶栗】当時、私はまだ生まれておりませんので詳しいことまではわかりませんが、父・梶栗玄太郎(元国際勝共連合会長)の『わが、「善き闘い」の日々―自叙伝 遺稿』という回顧録を読むと、自民党との関係だけに特化していたということではありません。当時は民社党もありましたので、政党というより、私たちの「勝共」に相通じる「反共」の考えが強い政治家の方を応援していました。

これは現在も変わりません。われわれは自民党という政党と何か特別な深い関係があるわけではなく、あくまで共産主義の勢力と戦える政治家の方の活動を応援しています。

——岸信介元首相と旧統一教会がかなり親密な関係だったということが、さまざまなメディアで報じられていますが、会長としては、これも教団ではなく、国際勝共連合の思想に理解をしてくれたからだということですか?

【梶栗】そのあたりも私は当時のことを分かりませんが、岸先生はわれわれの運動に対してご理解をいただいていたと聞いています。岸先生は安全保障の観点から、アメリカとの同盟関係強化に尽力した政治家であって、共産主義の脅威から日本を守るということを進めていたお立場でした。当然、国際勝共連合としても岸先生の政治活動の後押しをしたであろうし、われわれの活動も岸先生にご理解いただいてきたと思います。

一部マスコミは、岸先生のご邸宅と教団の本部が近くにあったということに何か意味があるかのように報じていますが、そこは単なる近所なだけであって、あくまでわれわれの「反共」へのご理解によって関係があったと考えています。