国際勝共連合の設立目的は「共産主義への対抗」

——新しい信徒の方も十分に理解できていないことなのですから、世間の人々はもっと理解できません。同じ人物が創設して、信徒の方が運営していれば、教団のフロント組織だと受け取るのが自然です。また、複数の関連団体が存在するのは、教団との関係をわからなくさせるダミーの狙いがあるという指摘もありますが、これについてはどう思いますか?

【梶栗】確かに、世間の方たちがそのように誤解されるのもしょうがない、と感じる側面はあります。しかし、やはり教団とは目的や創設された経緯がまったく違うということだけはご理解いただきたい。

また、いくつもの団体があることも、教団との関係をわからなくさせようなどの意図はまったくありません。それぞれの団体の目的や設立経緯は明確に違っています。それをわかっていただくため、まずは「国際勝共連合」の成り立ちをご説明しましょう。

この団体は1968年に創設されました。当時は冷戦の真っただ中で、コミンテルンやコミンフォルムが解散しているとはいえ、世界では共産主義勢力が拡大していました。そこで文総裁は世界平和を実現するにあたって、神を否定する唯物思想である共産思想が世界にネットワークを広げている現状に強い危機感を抱き、これに対抗をするため、国際的に連携して相対峙あいたいじしなくてはいけないという考えに至りました。

都市で抗議する群衆と旗を振る人たちのシルエット
写真=iStock.com/champc
※写真はイメージです

——宗教家である文氏が、そこまで共産主義の広がりを危険視するということに違和感を覚えますが、本当にそのような意図からなのでしょうか?

【梶栗】文総裁は朝鮮半島出身の方ですので、東西冷戦による半島の分断とその後の朝鮮戦争を経験しています。当時の韓国人としては共産主義の脅威という考えは明確にあったと思います。ただ、それは日本でも対岸の火事ではありませんでした。当時、共産主義勢力は自治体の首長を革新系にして国政に影響を及ぼそうとしており、政府与党は東京、大阪、京都、横浜、沖縄などの革新自治体奪還を果たすため、これらの頭文字をとった、いわゆる「TOKYO作戦」を展開していました。新聞でも「革命前夜」などという見出しが踊るほど、赤化戦略というものが浸透していました。

このような脅威に立ち向かうため、保守の大物である笹川良一先生や児玉誉士夫先生と連携をして、国内保守が大同団結した「アジア反共連盟」というものを立ち上げるように提案しました。しかし、残念ながら実現できませんでした。