作戦課というエリート集団の独善がもたらしたもの
堀栄三という陸軍少佐がいた。堀は大東亜戦争中、主に参謀本部情報部の参謀や第14方面軍(山下奉文大将)の情報主任参謀をつとめた。この時の活躍がもとで「マッカーサー参謀」(判断が的確だったことから)とあだ名されたという。
堀は参謀本部情報部で英米課長杉田一次の薫陶を受けていた。堀は、参謀本部(大本営)の作戦課偏重と独善を、自著『大本営参謀の情報戦記』で次のように書き残している。
「そう告白したら、大本営の作戦と情報の本当の関係を知らない一般の人々は、さぞかしびっくりするであろうが、残念ながら事実である。作戦課の作戦室に出入りを許される者は、大本営参謀の中でも一握りに限られていた」
ひとえに参謀本部や大本営参謀といっても、その中にずいぶんと優先順位がつけられていたようだ。服部のいる作戦課は最も優位とでもいうべきで、他の部署とは隔絶していた。
陸軍という組織にあった欠陥
会社に置き換えてもいいが、ある程度の規模の組織であれば、中核となる部署はあるだろう。現在の会社組織に当てはめれば、企業戦略の策定や管理などを担う部署というところだろうか。
しかし、中核部署だけが独走し、他部署との連携を考慮しないとなれば、結局会社そのものが大きな不利益を被る。これが軍隊の場合、不利益を被るのは国家そのものとなってしまう。
堀によれば、作戦課は情報部の判断を「歯牙にもかけていなかった」という。プロの軍人が情報の重要度に気づかなかったというのは不思議というほかないが、いかんせんエリート意識が強く、順調に出世を続けるとそこまで独善的になってしまうということだろうか。
特に服部や辻はノモンハンでの失敗にも関わらず、まともな処分を受けぬまま栄転してしまったことから、自らの間違いを反省する機会もなかったといえる。
陸軍という組織が個人を増長させ、その個人が組織を誤った方向へ向かせるという、悪循環が続いたのである。組織の欠陥であったとともに、個人がその組織の欠陥をさらに大きくしてしまったといえよう。