「同質化」させるダイバーシティでは意味がない
多数派からの同質化圧力の恐ろしさがよくわかるのが、企業や政治の世界です。
例えば、最近はどの企業でも、女性管理職の数が話題になりますが、僕は、女性管理職の比率を1割増やすくらいでは、あまり効果がないのではと思っています。その1割程度の女性に対する、同質化圧力はすさまじいからです。「相手に合わせないでいること」が、ものすごく困難なんです。
企業の多くは、「飲み会に参加しないと必要な情報が得られない」「残業して長時間労働しないと認められない」など、男性に有利に作られた仕組みや価値基準で動いている。そこでは女性は、自分の女性性を抑え込んで、“男性化”せざるを得なくなります。
せっかく異質な視点を持っている人も、同質化してからでないと入っていけないのでは、結局何も変わりません。一見「ダイバーシティ」(多様化)が進んだように見えたとしても、実は違う。仕組みや価値基準ごと見直していく「価値観の多様化」が本質なのに、「同質化」された女性の数が増えても意味がありません。
昨年注目された「わきまえる」というのはそういった同質化のことです。そして結局、これまでと同じ意見を言う人しか意思決定の場に入れません。森喜朗元首相の「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」という発言も、裏を返せば「男性が多いほうが既定路線で話を決めやすい」ということですよね。そしてそれは、政治の世界でも同じです。
「想定の範囲内」なんて言っている場合じゃない
7月に公表されたジェンダーギャップ報告書でもそれがわかります。
日本は146カ国中116位。主要先進国では最下位です。とくに政治と経済におけるギャップが大きい。日本の状況に大きな変化はないので「想定の範囲内」の結果といえますが、「想定の範囲内」なんて言っている場合ではない。
今回はコロナ禍の影響で、グローバル規模で男女格差が開いてしまいました。コロナは、打撃を与えた産業に偏りがあって、女性が多く従事する産業への影響の方が大きかったからです。