家庭という王国

山陽地方在住の黒島禎子さん(仮名・30代)は、百貨店勤務の42歳の父親、パートで働く36歳の母親のもとに生まれた。母親が一人娘だったため、父親は婿養子に入り、母方の祖父母と同居。黒島さんが物心ついた頃には、すでに2歳上の兄は家庭内で王子様も同然の存在だった。

兄が小学校に上がった頃、66歳の祖父と40歳の母親は、兄がほしがるものは何でも与えた。兄が夕飯の席で、「なんで今日は肉がないんだよ」と言えば、「野菜は嫌いだったよね。ごめんね」と言って母親は慌てて肉を調理して、「待たせてごめんね、いっぱい食べてね~」と言って兄の前に置く。すると兄は、お礼を言うわけでも喜ぶわけでもなく、「当然でしょ?」とでも言いたげな表情で、黙々と食べた。時代劇を見て覚えたのか、いつからか、「余は満足じゃ、ほっほっほ」などと口にするようになった。

習い事も、野球、サッカー、テニス、スキーなど、兄が「やりたい」と言えばどんどんやらせ、その都度ウェアや用具を全て買い揃え、「もういいや。次はこれやる」と言えば、親が退会の届けを出し、次の習い事に移る。

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幼い時分の兄妹ケンカはどの家でもあるだろうが、黒島家は特殊だった。兄が一方的に妹を叩いたり蹴ったり髪を掴んで引っ張ったりしているにもかかわらず、親は全く止めようとしないばかりか、母親は「妹なんだから我慢しなさい」と。さらに兄を焚き付けた。

「『どうせあんたが悪いんでしょ、痛い思いして反省しなさい』という感じです。自分の娘に対してなぜ、と思うのですが、母はとにかく私にオンナとしての対抗心を燃やしていて、仲裁する時にも、嫌われたくないばかりに兄(息子)の肩を持っていました」

母親が黒島さんをかばってくれたことは一度もなかった。

「わが家は、まるで王国のようでした。祖父が王様、母が女王様、兄が王子。祖母と父、私は家来です。祖父は法律関係の仕事をしていたらしいのですが、若い頃は祖母に手を上げることがたびたびあったらしく、祖父母には全く会話がありませんでした。祖母は、私をかわいがってくれましたが、基本的には祖父や母親の機嫌を損ねないようにおとなしくしていました。婿入りした父は、結婚早々に一度、母と別れようとしたらしいのですが、祖父母に反対されて結局別れられなかった。私が物心ついた頃には両親にも会話はなく、母が一方的に八つ当たりをして、父はひたすら耐えている感じでした」

母親は、黒島さんに対しては容赦なかった。食べ残しをすれば平手が飛んでくる。習い事は突然、「女の子なら英語を話せなきゃ」と、無理やり英会話教室へ。「女の子なら、テニスができなきゃ」と、唐突にコーチをつけられる。そして無理強いしておきながら、「才能がない」となじり、「やめたい」と言えば、「あんたにいくらかけたと思ってるの?」と脅す。

服装も自由に選べなかった。「遊ぶ時にパンツが見えて恥ずかしいから」と言ってズボンをほしがると、母親は頬を叩き、「男みたい。頭おかしいんじゃないの?」と嘲笑。トップスはすべて兄からのおさがりだったが、ズボンを履くことは許されなかった。

一方父親は、兄にも黒島さんにも分け隔てなく優しく接した。母親は、兄や黒島さんに、父親に暴言や暴力をするよう強要していたのだが、父親は自分に暴言を吐き、暴力を振るう子どもたちに対しても少しも叱ることなく、遊びに付き合ってくれたり、おもちゃを買ってくれたり、レジャーに連れて行ってくれたりと、おおらかで子煩悩な人だった。