離婚した家庭の子どもへの悪影響は無視できない

実際、いまや離婚は珍しいものではない。厚生労働省の「人口動態統計の年間推計」によれば、2019年の婚姻件数が58万3000件であったのに対して、離婚件数は21万件であり、すでに相対離婚率は35.0%を超えている(※5)

家族社会学の権威であるポール・アマートによれば、世界的な相対的離婚率の推移予測からして、全婚姻の半分が離婚に至るという予測は合理的だというから(※6)、日本はまだマシな方かもしれない。もちろん、離婚にはさまざまな要因があるので、離婚を必ずしも否定的に捉える必要はない。けれども、それでも子どもがいる場合には、離婚は可能な限り回避すべきだと示唆する研究は多い。

一例を挙げれば、親が離婚した子どもを追跡調査した研究は、健全な初婚の夫婦の下にある子どもと比較して、離婚した家庭の子どもは、教育的にも、経済的にも、身体的にも、心理的にも、感情的にも、子どもの幸福度の事実上すべての尺度で困難を強いられることを明らかにしている(※7)。それゆえ、アマートはこう指摘している。

子どもたち、つまり親の選択によってこの世に生を受けた子どもたちのために、人生の3分の1を満足のいくものではない結婚生活で費やすことは、決して不合理なことではない(※8)

不倫をしてしまうのは「頭が悪い」からではない

不倫の割合や離婚率を見る限り、進化生物学やアマートが言うように、私たちはどうにかして生物学的・心理学的な性質を制御する仕方を見つける必要があるようだ。つまり、「私とあなた」の問題を改善する、何か良い方法を見つける必要があるはずだ。この論点は、健康管理に関する「私」の問題、そしてパンデミック下に見られた「私たち」の問題にも当てはまる。

これらすべての問題は無知によるものではない。「分かっていない」のではないのだ。分かっていても「できない」のは、自制できない私たち自身の本性のためである。このような私たちの本性は、近年、生物医科学的なレベルで原因究明が進められている。しかし、「分かる」と「できる」をめぐる問題は、最近になって浮上したのではなく、古代から知られていた。すなわち、古代ギリシア哲学における「アクラシア」がそれである。