「ネタになる」と思えば、悲しいことにも落ち込まない

いろいろなことがあった5年でしたが、当然ながら「落ち込まない」「くよくよしない」という僕の性格は変わりません。コロナの時も「入院生活とはどんなものだろう」と楽しみでしたし、匂いがしなくなった時も「おおっ、これがコロナか」と思いました。

尿管結石の時も、あまりの痛さに「なんだ、この痛さは!」と興奮しましたし、その時に初めて救急車に乗ったのですが、アシスタントにも一緒に乗ってもらい、「イタタタタタッ! そこも撮って! あっちも撮って!」と救急車の中の写真を撮ってもらいました。

もう50年近く漫画家を続けていますので、何かあると「これは漫画のネタになるかもしれないぞ」と思う身体になってしまっているのです。そう思うと創作意欲が湧き、ワクワクが止まりません。

「漫画のネタになるかも」というのは、ある種の「目標」でもあります。「漫画にしよう」と思った瞬間に、普通なら苦しいこと、悲しいことが「楽しいこと」「ワクワクすること」に変わる。だから、僕は落ち込んだり、くよくよしたりしないのです。

100回という目標も同じです。「死」というと悲しかったり重く受け止めてしまうかもしれませんが、「時間制限」と考えればいいのです。ゲームにもスポーツにも時間制限があります。それがあるからその中でどうすれば勝てるのか、考えて工夫する。そこに楽しさが生まれます。

「そんなふうに考えられるのは、漫画家という特殊な職業だからだ」と言う人もいますが、決してそうではありません。別に漫画家でなくとも、悲しいことがあった時に「これをどう話せば、あいつを喜ばせられるか」と考えることはできるはずです。これは、その人の根本的なものの考え方や見方なのです。

どんな経験でも必ず何かのためになり、役に立つ。何かのプラスになる。これが常に僕の根底にある考え方です。

手ぶらの最後に常に持っておくべきもの

あとは、やはりこの年齢になったからか、もう自分ひとりの利益を考えることはありません。それをやることによって、どれだけ周りの利益になるか、どれだけ周りの役に立つか、ということを常に考えています。周りというのは多くの人でもいいし、誰かひとりのためでも構いません。もちろん、「この犬のために」だって構いません。それが目標になるし、生きる糧になります。

弘兼憲史『増補版 弘兼流 60歳からの手ぶら人生』(中公新書ラクレ)

今は航空写真がありますから絶海の孤島なんてないのかもしれませんが、もしそんな島にひとりで漂着して、「それでも自分は漫画を描くか」と考えたことがあります。そうすると、やはり「おもしろい」と言ってくれる人がひとりでもいないと、「描く気にならないかなぁ」と思うのです。いくら漫画を描くのが好きだと言っても、喜んでくれる人がいなければ、その漫画が誰かの役に立っていると思えなければ、描くことはないと思います。

ただ、その島で死んだ後に、もし誰かが骨を発見してくれるのであれば、その人のために、洞窟の壁などに漫画を描いておくかもしれません。その人がクスッと笑ってくれるような漫画でも良いですし、人類が生き残るためのヒントを記した漫画でも構いません。

これからの人生を、楽に、楽しく生きていくために、「手ぶら」を目指すことも必要です。ただし、「目標」や「生きる糧」だけは常に手放さないように。そして、自分にとってのそれが何なのかは常に考えておくようにしてください。

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