コレクションしていた切手を処分

この本を出版した当時には捨てられなかったものの処分を始めたのもこの5年間のことです。それが小学4年生の時から集めていた「切手」。同世代の人は覚えているかもしれませんが、当時ものすごい切手ブームがやってきたのです。

「見返り美人」の切手
※写真はイメージです(写真=iStock.com/traveler1116)

ブームに乗った僕は、正月になればもらったお年玉をつぎ込んで、「やったー! ついに『月と雁』を買ったぞ」などとやっていたものでした。「見返り美人」や「ビードロを吹く女」など、収集した人ならわかる有名どころも当然買いました。子どもながらに投資の意識もありましたから、「これは絶対値上がりするだろう」と買った切手が実際に値上がりすると嬉しいものでした。

ところが、当時3000円ぐらいまで値上がりした切手が、今もあまり変わっていないことを知ったのです。上がっていたとしてもせいぜい数十円程度。そこで一気に熱が覚めました。もちろん、コレクションの価値は値段だけではありませんが、今は切手収集が趣味ではありませんから、そうなると、持っていることにあまり意味がないのです。

ただ、どんなに古くなろうと額面通りの価値はあるわけですから、捨ててしまうのはもったいない。売るという方法もありますが、面倒だし、おもしろくありません。

そこで思いついたのが「使う」と言う方法。郵便物に貼り、普通に切手として使用するわけです。大人になってからシート買いした切手もたくさんありますから、それを1シート、郵便物にベターッと貼ります。1970年代ぐらいの古い切手がベタッと貼られた郵便物が突然届くのですから、もらったほうはビックリするでしょう。税理士のところには税務資料を郵送することが多いですから、「こいつバカか」と思われてるかもしれません。そんな反応を想像するのが楽しい。売るよりも僕にはよほどこっちのほうが有意義なのです。

すべて処分するには、しばらくかかるでしょうが、何も急ぐ理由はありません。楽しく処分する。そんな方法を考えるのも「手ぶら人生」の楽しみです。

両親の死と安楽死

2020年12月、この本を出した頃には元気だった母親が、99歳でこの世を去りました。介護施設に入っていた時には、何度も「早く死にたい」と言っていました。それが本心だったのかどうかはわかりませんが、その言葉に、父親が死んだ時のことを思い出さずにはいられませんでした。

僕の父親は半年間の延命治療を受けています。僕は「痛みがあるなら早く逝かせてあげよう」と言いましたが、他の家族は「もっと生きさせてあげたい」と延命治療を望みました。「もっと生きさせてあげたい」というのは、父親のために言っているのでしょうが、本当にそれは父親のためなのか。僕は父親に延命治療をしてしまったことをずっと後悔しています。

本人の意思より家族の希望が優先されるのは、やはり家族のエゴではないでしょうか。それが両親の死を通じての僕の考えです。

世界に目を向けると2017年にはオーストラリアが、2021年にはスペイン、ニュージーランド、コロンビアが安楽死を合法化しました。人間には「生きる権利」があるのと同じように「死ぬ権利」があるという考えは、これからも日本を含め、もっと多くの国に認められていくことになるでしょう。

もちろん、クリアしなければならない課題は少なくありません。例えば、本人の意思が確認できないような病状の場合に誰が判断するのか。しかし、これらをクリアしなければ、この高齢化社会に対応できないところまで、もう世界はきているのです。

それと同時に僕は「介護園」のような施設も必要だと思っています。保育園のように、要介護者を一時的に預かる施設です。これがあれば、家族は介護のために仕事を辞める必要がありません。また、1日のうち数時間だけでも介護から離れる時間を作ることができれば、精神的な負担も軽減できるはずです。

誰もが明日にでも介護者や要介護者になる可能性があります。「安楽死」も「介護園」もすぐに必要だと僕は思います。