「悪いのは外国だ」「敵は欧米だ」と主張し支持を獲得

まずヒトラーもプーチンも、その独裁権力を獲得した手法として、生活に困窮している国民に民族主義・愛国主義を扇動したという共通項がある。

1918年に終結した第一次世界大戦の敗戦国だったドイツは、当時の国民総所得の2.5倍もの莫大な賠償金支払いで国民の生活は困窮しており、さらに1929年に始まった世界恐慌の追い打ちによって大量の失業者で溢れていた。そんな社会情勢で、「悪いのは外国だ」としてドイツ民族の復権を主張したことで、一気に人気政治家になったのがヒトラーだった。

プーチンの場合も同様だ。彼は最初に政治的実権を握った時から、「ロシア人VSそれ以外」という対立構図で強硬な姿勢を鮮明にしており、ロシア民族主義を前面に押し出して国民を誘導していた。

最初の標的は「チェチェン人」で、次の標的が新興財閥「オリガルヒ」だった。旧KGBの権限を強化し、ロシアの国家資産を私物化して海外で富を築いていたオリガルヒを次々と弾圧。この時もオリガルヒに反感を募らせていた多くのロシア国民が拍手した。プーチンはそんな国民に対し、「悪いのは西側だ」と扇動した。つまり今度は「敵は欧米だ」というわけである。

権力掌握後は独裁者となる流れまでヒトラーのコピー

プーチンは2005年4月の連邦議会で「ソ連の崩壊は、20世紀最大の地政学的惨事である」と演説した。プーチンの言う惨事とは、社会主義の崩壊ではなく、大国ロシアの崩壊という意味だ。この「大国ロシアの復活を」と「悪いのは西側(とくに米国)だ」というキャッチーな言葉は、とくに90年代に苦難の時代を経験した層に広く受け入れられ、国内世論でプーチンの人気は高まり、盤石の支持が維持された。

その後、2014年のクリミア侵攻・併合ではロシア政府が喧伝した「ウクライナのネオナチ勢力に弾圧されていたロシア系住民を救った」という作り話が浸透し、プーチンの人気は絶頂を極めた。そして、プーチンは前述したように、国内で愛国主義を扇動し、しかも国の制度に取り入れている。これもナチスと同様だ。

疲弊した国民に民族主義・愛国主義を扇動し、「悪いことは全部、他国のせいだ」として非難することで国民的人気を集める。そして、人気を集めて権力を握った後は独裁者となり、反対・批判する者を弾圧する。その手口の流れまでヒトラーのコピーと言っていいだろう。