騎馬戦では“脚”の役

では、昭和天皇のご長男で、天皇陛下の父宮にあたられる上皇陛下の場合はどうだったか。ここで取り上げてみたいのは、戦前と戦後の、皇族の教育を取り巻く環境の激変ぶりを示す事実として、上皇陛下が学習院大学を中退されていたという、現代の日本人の多くににとってはいささか意外な話題だ。

敗戦後、宮内省(当時)は当初、その頃は皇太子だった上皇陛下のために、再び御学問所を設けるつもりでいた。しかし、被占領下の時代であり、占領当局がそれを「民主教育に反する」として認めなかった。そこで、学習院で学ばれることになった。

戦後の学習院では、昭和天皇の時とはうって変わって「特別扱いはしない」という方針が貫かれた。たとえば、昭和23年(1948年)10月に行われた中等科時代の運動会の時に、騎馬戦で上皇陛下が“脚”の役をされて「拍手はさらに一段と強くわき上がった」という場面があった(小野昇『天皇記者三十年』)。

その延長線上の出来事として、学習院大学が上皇陛下の進級を否認するという判断を下した。

学習院大学を中退された上皇陛下

昭和28年(1953年)の出来事だ。この年、上皇陛下は昭和天皇のご名代として、イギリスのエリザベス女王の戴冠式に出席された。旅程は3月30日から10月13日にわたり、欧米各国を巡られた。その間、カナダのサン・ローラン首相による歓迎演説が議会で行われたり、イギリスのチャーチル首相主催の歓迎午餐会に出席されたり、アメリカのアイゼンハワー大統領と会見されるなど、まさに皇太子としてのご公務そのものだった。これは当時、「国事行為の臨時代行に関する法律」が未成立だったために、昭和天皇が、憲法が定める国事行為を必ずご自身でなされなければならず、海外にお出ましになることがかなわなかったという事情があった(同法の成立は昭和39年〔1964年〕)。

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エリザベス女王の戴冠式が行われたロンドンのウエストミンスター寺院

その頃、上皇陛下は学習院大学2年に在籍しておられたが、長期欠席のため単位が不足しているとして、学習院は「3年への進級は認めない」との方針を打ち出した。これによって、上皇陛下は留年ではなく、退学という道を選ばれた。昭和29年(1954年)4月以降は聴講生になられ、週に3回程度大学に通われる一方、お住まいの東宮御所で特別教育を受けられた。

学習院大学の同級生が卒業する昭和31年(1956年)3月の卒業式には“来賓”として出席されている。このご経歴について宮内庁のホームページには、同年「学習院大学教育ご修了」と表記され、他の皇族について学部学科を明記して「ご卒業」と書かれているのとは、明確に区別している。

なお上皇陛下ご自身はのちに、このご経験について以下のように述べておられた(昭和52年〔1977年〕12月9日)。

「私なんか大学から離れてから本当の学問の情熱というものを感じました。あの戴冠式(出席)のあとで大学の進級問題が起こって、学生でなくて、聴講生の方がいいといわれた。その時はそうしたいと思ったわけでもないですけれども、いま考えるとそれが大変良かったと思っています」

上皇陛下がハゼなどの専門研究によって、めざましい学問的業績を残しておられるのはよく知られているだろう。