航空券の取得、ホテルの予約などは旅行案内書に記されていた、政府公認の観光代理店(とは言っても、東京のどこかのビルに事務所を置き、少人数で電話対応している雰囲気だったが)に依頼し、成田とキエフ、キエフとオデッサの往復航空券、キエフとオデッサのホテル、また“白タク”にだまされないようにと、空港から中心部までのタクシーも勧められたので手配してもらった。

こうしてキエフで私が泊まったホテルは、街の中心と言ってもよい独立広場を見下ろす「ウクライナホテル」だった。このホテルでは、朝食時間の食堂で何組かの日本人を見かけたが、ビジネスマンらしき雰囲気で、観光目的の一人旅と思われるのは私だけだった。この後、数日間、キエフとオデッサでも、日本人観光客とすれ違うことはほとんどなかった。

筆者撮影
キエフの独立広場(マイダン広場)。夜には大勢の人が集まっていた

なおロシア侵攻後も、定点観測カメラ(おそらくウクライナホテルからだろう)で映し出されることが多い独立広場(マイダン広場)は、19世紀にはフレシチャーティク広場、その後、ソビエト広場、十月革命広場など何度も名を変え、1991年のソ連から独立以来、現在の名称になっている。キエフの目抜き通りのほか、小さな通りも交差するこの広場は2014年の騒乱の際、政府軍と反権力側が衝突し、焦土と化したことがあった。

11世紀初頭に創建された世界遺産「聖ソフィア大聖堂」

この数日間、ロシアによるキエフ侵攻が目前という状況下にあるが、キエフが世界遺産を擁する街であることは報道されているだろうか。私の場合、キエフをめざしたいちばん目的は、「聖ソフィア大聖堂と関連する修道院群及びキエフ・ペチェールシク大修道院」をはじめとする宗教遺産を訪ねることだった。

事前に、ウクライナの歴史に関する本を何冊か手に取ったが、そのなかで最も印象的だったのは、「キエフ公国」が10世紀に正教を選んだ理由である。キエフ公国の大公ウラジーミル1世は、国教を定めるため、家臣たちに周辺国の信仰の実状を探らせたという。

筆者撮影
ソフィア大聖堂。