そのなかで、正教を奉じる東ローマ帝国の様子を見てきたものは、「私たちは天上にいたのか地上にいたのかわかりませんでした。地上にはこのような光景も美しさもなく、また物語ることもできないからです……」と、正教の儀式の素晴らしさを讃えた。そこでウラジーミルは、正教を国教として導入することに決めたというのである。
独立広場の北西に建つ「聖ソフィア大聖堂」は、11世紀初頭に創建された「キエフ・ルーシ」(ウクライナ地域の古名)最大の聖堂だ。
ビザンチン様式のギリシア十字式聖堂で、17世紀末~18世紀初頭にかけて改修が行われ、ウクライナ・バロック様式の鐘楼が建てられた。1932年ソ連によって閉鎖され、無神論博物館となり、1941年ドイツ政権下で教会に戻された。
その20年後に再びソ連によって閉鎖されて博物館になっていたが、ウクライナの独立後、ウクライナ独立正教会の奉神礼に使用されるようになった。大聖堂には、モンゴル軍の侵攻の際にも破壊されずに残った「不滅の壁のマリア」の異名を持つ生神女のモザイク画をはじめ、美しい宗教画が残されている。
中世を感じる黄金のドーム
ペチェルーシク大修道院(ペチェルスカヤ)大修道院は独立広場の南東、ドニエプル川の近くに位置する。
11世紀の半ば、正教会の聖地アトスからきた修道士がドニエプル川沿いの洞窟で修行したのが起源で、『過ぎし歳月の物語』をはじめとする年代記の編纂や聖書の翻訳などが行われた。当初の建物はモンゴルの侵攻によって大きく損壊し、現在残るウクライナ・バロック様式の建築群は、ピョートル1世の時代に再建されたものである。18世紀初頭に大改修が行われ、ウクライナ・バロック様式に塗り替えられている。
修道院の敷地は広大で、ウスペンスキー聖堂、トロイツカヤ聖堂などの建築群や博物館などからなる「上の修道院」、修道院の起源となった地下墓地などからなる「下の修道院」をじっくり見ると一日がかりになる。
世界遺産に含まれてはいないが、聖ミハイル黄金ドーム修道院は、夜間のライトアップも美しく、観光スポットのひとつになっている。