ロシア軍の攻撃にさらされているウクライナの首都・キエフとは、本来どんな街なのか。2006年にキエフとオデッサを訪れた作家の畑中章宏さんは「世界遺産に選ばれた聖堂群を擁するなど、世界で最も美しく、魅力的な街だった」という――。
キエフとオデッサで見た美しい光景
2月24日に始まったロシアのウクライナへの侵攻は、すでに多くの犠牲者を出しているが、収束する気配が見えない。いま世界中から同情と共感を寄せられているウクライナという国は、日本人にとって、決してなじみ深い国とは言えず、その歴史と文化を知る機会も少なかったのではないだろうか。
ウクライナと聞いて、真っ先に思い浮かぶのは、1986年4月に事故を起こした、チェルノブイリ原子力発電所があるということだと思われるが、若い世代にはこうした現代史すら共有されていないかもしれない。
そんなウクライナを、私は今から15年前、2006年の秋に一週間ほど旅したことがある。訪問先はキエフとオデッサで、仕事ではなく、純粋に観光目的だった。
当時の私は、毎年ヨーロッパ旅行し、さまざまな街を歩いたが、そうしたなかでもキエフは最も美しく、魅力的な街だった。
あの国、あの街、そこに暮らす人々が危機に瀕しているいま、私が見たウクライナの美しい姿を思い出してみることにしたい。
なぜウクライナを訪ねたのか
当時の私は、東方教会、正教会が生み出した建築や美術(ビザンチン文化)に興味を持ち、ウクライナを訪問する1、2年前には、ビザンチン(東ローマ帝国)第2の都市、ギリシャのテッサロニキを訪ねたりしていた。そうした興味から、ロシア正教の文化を見たいと思い、「黄金の環」と呼ばれる地方に、ロシア・ビザンチン建築を観に行くことを思い立った。
しかし、ロシアを旅行するには、観光ビザのほかに、バウチャー(外国人観光客引受書)も必要で、取得等の煩雑さから断念しかけていた。
そこでロシアの隣国ウクライナに目を向けてみると、2014年に起こった“オレンジ革命”後のユシチェンコ政権下に、ビザがなくても観光客を受け入れるようになっていたのである。