ロシアによるウクライナ侵攻が世界を震撼させている。なぜロシアはウクライナに固執するのか。元国連大使で、国際協力機構(JICA)理事長を務める北岡伸一・東京大学名誉教授の著書『世界地図を読み直す:協力と均衡の地政学』(新潮選書)から紹介する――。
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(写真左)と、2022年1月11日、フランス、ドイツ、ロシアとの新たな首脳会談を呼びかけたウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(写真右)
写真=AFP/時事通信フォト
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(写真左)と、2022年1月11日、フランス、ドイツ、ロシアとの新たな首脳会談を呼びかけたウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領(写真右)

「キエフ公国」をルーツに持つロシアとウクライナ

2017年6月、ウクライナを訪れた。

ウクライナは大国である。人口は4500万人、ヨーロッパではロシア、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、スペインに次ぐ第7位である(第8位はポーランド)。面積では、約60万平方キロで日本の1.6倍、ロシアを除けばヨーロッパ最大である。国土のほとんどは肥沃ひよくな平原で、伝統的にヨーロッパの穀倉と言われてきた。

ウクライナの歴史は古い。9世紀後半、キエフを中心にキエフ・ルーシ公国(あるいは大公国、あるいはキエフ公国)という国が成立し、13世紀にモンゴルに滅ぼされるまで続いた。最盛期にはヨーロッパ最大の版図を誇った。

キエフ・ルーシ公国の後身がウクライナだとウクライナ人は言い、いやロシアだとロシア人は言う。いずれにせよ、キエフを中心に相当大きな国が9世紀後半に存在していたことは確かである。

その後、ウクライナはポーランドやリトアニア、オーストリア、ロシアなどの支配を受け、独立国家を作ることはできなかった。

1917年、帝政ロシア崩壊とともにウクライナ人民共和国の樹立を宣言したが、やがてソ連の一部となった。1945年に国連ができたときは、ソ連の一部でありながら、ベラルーシとともに国連に加盟した。非常任理事国を務めたこともある。

困難な歴史が生んだアイデンティティ

ソ連はウクライナを重視した。肥沃な土地を農業生産基地として利用し、また、重工業化を推進した。

この間、しかし、農業集団化政策の失敗により、1932年から33年にかけての大飢饉で、300万から600万人が亡くなったと言われている(黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』)。のちに述べるチェルノブイリなども、この重工業政策の結果の1つであった。