12世紀に建立されたこの修道院の大聖堂は、青と白を基調とした壁面に黄金のドームという、ウクライナ・バロック様式が美しい。中世キエフにおける最も大きな教会のひとつだったが、モンゴル軍やタタール軍による侵略で、大きな被害を受けた。
その後ウクライナ正教会の修道院として修復されたが、ロシア革命後に修道院は廃止され、1934年から36年にかけては旧ソ連の手で大聖堂や鐘楼が破壊される。1991年のウクライナ独立以降に復元工事が行われ、修道院としての機能も回復、一般公開されている。
アールヌーボー風の絢爛たるフレスコ画
キエフの中心部を見下ろす丘の上に、青緑色のタマネギ型の屋根が目立つ聖アンドレイ教会がある。18世紀の半ばに、ロシアの女帝・エリザヴェータがキエフの街を訪れたことを記念して建立された。設計はサンクトペテルブルクの冬の宮殿(現エルミタージュ美術館)の設計でも知られる、イタリアの建築家ラストレッリ。外装はロシア・バロック様式だが、内装は優美なロココ様式で飾られ、ウクライナのなかにヨーロッパ文化を見る趣がする。
アンドレイ教会にいたるアンドレイ坂には土産物店が何軒も立ち、オープンテラスのあるレストランが並ぶなど、観光スポットらしいたたずまいがある。
アンドレイ教会が位置する高台の麓には、キエフの下町、ボディール地区がある。この地区には観光スポットがないため、かえって昔ながらのキエフの街の雰囲気を色濃くとどめている。世界遺産の建築群とは違った、地味な外観の教会をいくつか見て歩いたが、どこでも荘厳な堂内で、熱心に祈る人々の姿がいた。
19世紀後半に国民の寄付によって建立されたウラジーミル聖堂は、ウクライナ語では「聖ヴォロディームィル大聖堂」と呼ばれ、ルーシにキリスト教をもたらしたウラジーミルの名にちなんでいる。第2次世界大戦後、ロシア正教会に渡されたが、ウクライナ独立後にウクライナ正教会のキエフ総主教庁に譲渡された。
ビザンチン様式の外観だが、内部はアールヌーボー風の絢爛たるフレスコ画で埋め尽くされている。私が訪ねたときは、ちょうど奉神礼のさなかで、多くの参列者が祈りを捧げているところだった。
ウクライナ人の精神的支柱として敬愛される国民詩人
旅先にキエフを選んだとき、現代のウクライナ人で、世界的に最も有名なサッカー選手のことも思い浮かべた。
現在進行形のウクライナ危機のさなかにも、ナショナルアイデンティティーに裏打ちされた反戦とロシア批判を繰り返し発信しているアンドレイ・シェフチェンコその人だ。シェフチェンコは、ディナモ・キエフやACミラン、ウクライナ代表として活躍し、ウクライナをヨーロッパのサッカー強豪国のひとつに押し上げた国民的ヒーローである。