停滞した空気を一変させる男

重篤な患者に対して高度な医療技術を提供する三次救急医療機関であるとりだい病院救命救急センターは、山陰一帯の救急医療の最後の砦である。

鳥取大学医学部附属病院救急救命センター教授の上田敬博氏(撮影=中村 治)

医療機械を搭載し、医師・看護師が同乗して、医療機関搬送前の現場へ直接出動するための手段として、2013年にはドクターカー(※)、さらに2018年に県内初のドクターヘリが配置された。

ただ、それはハード面の話であり、ソフト面、つまり人の心と技術が伴っているとは言えなかった。

看護師の中には、自分たちがやっていることを「看取り救急」であると自虐的に評する者もいた。つまり、死に向かう患者を救えず、看取ることばかりしているという意だ。

2020年3月、停滞した空気を一変させる男が現れる。新しく救急科長に就任した上田敬博教授だ。

木村は初めて上田から掛けられた言葉を覚えている。

「木村先生はIVRが得意なんだって? いいね、一緒にやろうよ」

木村らは二つの点で驚いた。まず、初対面なのに自分の得意な手技を知っていたこと。そして、これまで救急科ではやりたくてもできなかった領域について、「やろう」とあっさり言ってのけたことだ。

後になって木村は、上田が就任前に5回、とりだい病院を秘密裏に訪れて現場を視察していたことを知った。上田は木村が腐っていることを見抜いていたのだ。

上田は1971年、福岡で生まれた。父は開業医で、親戚も医師ばかり。近畿大学医学部2年生のころに阪神淡路大震災のボランティアを経験した。被災者の心のケアをしたくて心療内科医を志したが、研修先の東神戸病院で救急の世界に出合う。

実家を継ぐために九州に戻っていた時期もあったが、父の死後は引き寄せられるように救急の世界に戻ってきた。

不思議と大事件に縁があり、2001年、大阪府立千里救命救急センター時代に大阪教育大学附属池田小殺傷事件、2005年、兵庫医科大学病院救命救急センター時代にJR福知山線脱線事故を経験した。

記憶に新しいところでは、2019年、京都アニメーション放火殺人事件で重度の熱傷を負った容疑者の治療も、近畿大学病院救命救急センターにいた上田の担当だった。

※1 ドクターカー……医療機械を搭載し、医師・看護師が同乗して、医療機関搬送前の現場へ直接出動する救急車

自分が“劇薬”であることを理解していた

手腕を買われてとりだい病院救命救急センターの立て直しを任される。上田は事前に視察したときの印象をこう振り返る

「外枠の機能は整っていたけど、中身が伴っていなかった。患者さんが運ばれてきたら、救急医が責任感を持って診るべきです。必要なら胸やお腹を開けなくてはいけないケースもあるでしょう。

でも、ここでは該当する科に右から左に流すだけだった。面倒くさがってそうしていたわけじゃない。僕には、余計なことをすると怒られるのではないかとみんなが怖がっていたように見えた」

ひっきりなしに事件が起こる関西圏から来た上田は、自身が劇薬であることを理解していた。いきなりすべてを変えると軋轢が生じて空中分解しかねない。1年目3割、2年目3割、3年目4割。3年でセンターを世界水準に引き上げる計画を立てて改革に臨んだ。

1年目の目標は、センター内のマインド改革だ。

——患者さんに対して責任感を持とう。
——センター内でスタッフとコミュニケーションを取れ。
——互いに考えていることがわかれば信頼が生まれて組織が強くなる。

スタッフに繰り返しこう伝えた。

言葉だけでなく、仕組みも変えた。救命救急センターでは毎朝、患者の治療方針を話し合うカンファレンスを開いていた。しかし、実際には議論はなく、前日の治療内容を「申し送り」するだけ。形骸化していたのだ。