2019年7月、全身の9割以上に深刻な火傷を負った男が病院に運ばれてきた。京都アニメーション放火殺人事件の容疑者だった。主治医はどんな思いで治療にあたったのか。当時の主治医で、現在は鳥取大学医学部附属病院救命救急センターの教授の上田敬博氏が振り返る――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 7杯目』の一部を再編集したものです。

(写真中央)上田敬博(うえだ・たかひろ)/福岡県福岡市生まれ。1990年近畿大学医学部卒業。2014年兵庫医科大学 医科学研究科(生体応答制御系)修了。医学博士。2020年4月より鳥取大学救命救急センター教授に就任。広範囲熱傷の救命・治療に力を入れている。
撮影=中村治
(写真中央)上田敬博(うえだ・たかひろ)/福岡県福岡市生まれ。1990年近畿大学医学部卒業。2014年兵庫医科大学 医科学研究科(生体応答制御系)修了。医学博士。2020年4月より鳥取大学救命救急センター教授に就任。広範囲熱傷の救命・治療に力を入れている。

阪神大震災のボランティアで体験した無力感

その日、上田敬博が床を出たのは、いつもより早い、朝5時半だった。夜、大阪城ホールでビリー・ジョエルのライブが予定されていた。窓口に並んだ甲斐があり、上田はいい席を手に入れていた。大好きなビリー・ジョエルを間近で見られると興奮して眼が覚めたのだ。

そして5時46分、地面が激しく揺れた。これまで体験したことのない揺れだった。自分の部屋はマンションの一階である。それでもこれだけ揺れるとは、もう終わりだ。

(お父さん、お母さん、ごめんなさい)

と心の中で呟いた。

95年1月の阪神淡路大震災である――。

幸い、上田の住んでいた一帯は倒壊などの被害はなかった。近畿大学医学部の二回生だった上田は、震災の約一カ月後に神戸市長田地区にボランティアとして入った。

そこで目の当たりにしたのは、心の傷ついた人たちだった。

「旦那さんだけが瓦礫の中に埋まって亡くなってしまったという60才から70代の女性がいました。お二人の間に子どもはなかった。一人残されたことが悲しかったんでしょう。なんで自分だけ生き残ったのだろう、寂しい、死にたいってずっと言っていた」

上田たちは交代で彼女を見守るために家を訪問することにした。しかし、彼女は夜中に手首を切り、自殺した。

「何もできなかった。自分たちがやっていたのは単なるパフォーマンスというか自己満足やったんかなと思った記憶があります」