「セリフ一切なしの4分間」はアドリブ

――言葉が通じない関係性をよく表していたのが、陳おばあちゃんと吉澤の2人がベンチで一言も交わさずにやりとりする、4分にも及ぶ印象的なシーンです。ふたりが自分たちの写真を見せ合って、その後、日本と中国の国旗を作って笑いあう。

【國村】あれ全部アドリブなんですよ。監督からは「カメラを回しとくから、2人で勝手にやって」と。

――2人の名優がアドリブで演技合戦をしていたように感じました。

このシーンは、撮影前にお互い打ち合わせをしたわけでもないです。ぶっつけ本番でした。相手はどう来るかわからない。でも、何が来ても自分はリアクションをする。相手の意図がわからないというリアクションから始まって、ゆっくりわかり合っていく過程が積み重なるほうがいいんです。

セリフはまったくないのですが、コミュニケーションがちゃんと成立するというシーンです。意図を持った芝居なのに、ドキュメンタリーでもあって、そこはすごく面白かったですね。

再会の奈良』より

役者がのたうち回るドキュメンタリー

――今回の映画は奈良の映画制作プロジェクト「NARAtive2020」から生まれたこともあって、役者ではない地元の人たちとの共演シーンが多かったですね。

【國村】はい。ポンフェイ監督は役者と素人が一緒にやるのが好きなんです。役者ではない面白いキャラクターを被写体にすると、どんな空気が生まれるかを楽しんでいたんでしょう。例えば、3人が訪れる豆腐屋さんは実際にあるお店なんです。劇中に出てくるちょっとおしゃべりな女将さんも、本当にあのままの方でした。

――ほかにも、残留孤児の家族も出てきていましたね。

あの方たちは本当の残留孤児の家族で、彼らが実際に暮らしている家にお邪魔して撮影したんです。本当に彼らは映画に出てくるそのままで、日本語は半分通じるけれど、半分は通じない。彼らのほんわか温かい雰囲気なども含めて、ドキュメンタリーみたいなものです。

役者の立場として感じることがあるのは、映画監督が究極に欲しいものは、面白いドキュメンタリーなのではないかな、ということです。役者がのたうち回って、困っているところを映したいのではと考えてしまう。

実際、この映画でも、僕ら3人は残留孤児の家族から餃子をごちそうになり、中国の踊りを見て、そして困ってしまう。ポンフェイ監督は僕らのリアクションが欲しかったんですよね。

再会の奈良』より