「見ただけで衝撃でした」高倉健というスター
――今回の『再会の奈良』は日中合作ですが、國村さんは海外の映画にも数多く出演されています。アメリカ、香港、ベルギー、韓国と、これほど海外作品に出演されている日本人俳優は少ないと思います。
【國村】やっぱり若い頃に『ブラック・レイン』(1989年)を経験した影響が大きいです。
『ブラック・レイン』は予算60億円のハリウッドシステムの映画です。監督はリドリー・スコット。そこに(松田)優作さんも高倉(健)さんもいらっしゃった。すごい現場でした。優作さんとは出番が一緒のことが多かったので、いろいろ教えてもらいました。
高倉さんは見ただけで衝撃でした。「こういう人がいるんだ」と。
ある日、撮影現場に行ったら、巨大なクレーンの下で50人くらいのスタッフと俳優がかたまって撮影準備をしていました。背の高いアメリカ人の集団の中に、なぜか吸い寄せられてしまう人がいたんです。近づいてみたら、それが高倉さんでした。
俗にいうオーラってものですよね。もちろん、実際に光っているわけではないんです。でも、「あれ?」なんだろうと、とにかく気になる。あんな体験は初めてでした。
映画は規模でもシステムでもないから面白い
――松田優作さんと高倉さんについて話したことはありますか。
【國村】優作さんはことあるごとに、「いいか、おまえ、高倉さんは日本の宝だぞ」と言っていました。
同じ現場を一緒にさせてもらった僕から見ても、宝だという意味はわかりました。監督のリドリー(・スコット)もマイケル・ダグラスも高倉さんのことを尊敬していました。芝居をしているときだけでなく、高倉さんが向こうのスタッフとやりとりをしたり、休憩中のたたずまいであったり……、カメラが回っていないところも含めて。
高倉健という存在は、日本の映画界が海外に対しても誇れるものだ。優作さんは、そういう言い方をしていました。
――役者人生においても『ブラック・レイン』は大きな影響があったのですね。
『ブラック・レイン』は僕にとって2作目の映画出演だったのですが、1作目は『ガキ帝国』(1981年)でした。『ガキ帝国』は低予算で、製作費は1000万円。かたや『ブラック・レイン』は予算60億円のハリウッドシステムの映画です。製作費も現場もまったく違いましたが、出来上がってみたら、どちらも光と影のエンターテインメントで、どちらも面白い。映画ってお金じゃないんです。規模でもシステムでもないと1作目と2作目で体験してしまった。
以来ずっと、映画の面白さにハマってしまったんです。