「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

Netflix(ネットフリックス)のドラマ『新聞記者』が論議を呼んでいる。

これは2019年に公開された映画『新聞記者』の連続ドラマ版で、東京新聞の望月衣塑子記者がかかわり、河村光庸プロデューサー、藤井道人監督は映画と同じ布陣である。

参議院選直前に公開された映画は、第43回日本アカデミー賞の最優秀作品賞を含む主要3部門を獲得し、興行収入もこの手の硬派な映画としては珍しい6億円超えと、大いに話題を呼んだ。

映画のラストで、内調(内閣情報調査室)の上司が部下に、「この国の民主主義は形だけでいいんだ」という決め台詞がよかった。

アカデミー賞受賞後の私のインタビューで河村氏は、「映画の最後の決め台詞がもの足りなかったので、アフレコで私があの言葉を入れたんです」と語った。

「私が描きたかったのは望月さんのような忖度そんたくに抗し、権力に立ち向かうジャーナリストの姿を通して今の危機的な政治状況を伝えたかった」ともいっていた。

Netflixのドラマ(シーズン1、エピソード1~6)のほうは、安倍晋三首相(当時)と妻の昭恵氏が深く関与していたといわれる「森友学園国有地売却事件」の闇を、女性記者が追いかけるという設定。もちろん、人物の名前も事件名も変えてはいるが。

望月記者はこれを見て怒らなかったのか?

追い詰められた首相が突然、もし私と私の妻がこの件に関与していたら、私は首相も議員も辞めると答弁したため、つじつまを合わせるために交渉過程の文書を改竄せざるを得なくなった。

上司から改竄を押し付けられた財務省近畿財務局職員は、国民に奉仕すべき国家公務員が違法なことに手を染めてしまったと悩み、遺書を残して自殺してしまう。

これを見た多くの視聴者は、このドラマはあの事件を題材にして作り上げたドキュメンタリーに近い作品だと思うに違いない。

自殺した赤木俊夫さんの遺書をスクープしたのは、東京新聞の望月記者だったとも。

ドラマ『新聞記者』を見て、私がどう感じたかを書いてみたい。

見終わって最初に、こう考えた。「このドラマを試写で見た東京新聞の望月記者は怒らなかったのか?」

「私失敗しないので」という台詞で有名な米倉涼子が望月記者を彷彿とさせる女性記者を演じている。およそ新聞記者らしくない米倉を配した愚は致し方ないとして、オーバーすぎる表情や、すぐ泣く癖は、記者という仕事には向いていないと思わざるを得なかった。

演技指導はしなかったにしても、望月記者は新聞記者の心構えぐらいは教えなかったのだろうか。