堂々と出てきて説明責任を果たすべき
今回、週刊文春を読む限り、望月記者側に、取材相手に不信感を持たれるような言動があったように思える。
しかし、新聞記者として得難い取材力と行動力を持つ彼女がこんなことで潰れてほしくはない。そのためには、堂々と出てきて説明責任を果たし、赤木雅子さん側と何らかの行き違いがあれば謝罪することである。
取材する人間に間違いはつきものだ。間違ったら誤る、訂正する。そして再び立ち上がり、権力と対峙し、不正を暴くのだ。
新聞を離れて、いいたいこともいえないテレビのキャスターなどになってはいけない。新聞記者でなければできないことはまだまだある。
本田靖春氏は「ボクは生涯社会部記者だ」といっていた。今の読売新聞ではない、社会部が輝いていた時代の読売を心から愛していた。
「私が職場で常に強調していたのは、自分が現に関わっている身内的問題について、言論の自由を行使できない人間が、社会ないしは国家の重大問題について、主張すべきことをしっかり主張できるか、ということであった」
これは、正力松太郎読売新聞社主(当時)の新聞の私物化に対して、ものをいえない同僚たちに向けていっているのだが、自分の言動に不信感を持たれ、週刊誌で告発されている彼女も、ここで沈黙してしまったら、本田氏は同じような言葉を投げかけると思う。
望月衣塑子記者が、この苦境をどう乗り越えるのか、注目して見ていたい。