嘘をついてまで「手伝わせて」という吉澤の心理

【國村】吉澤は何の変化もない日常に、ふと「自分がやるべきことができた」と感じます。元警察官だから、人探しなら俺にもできる、と。だから、積極的に自分のほうから手伝わせてくれって彼は言ったんですよね。嘘をついてまでね。

――そうしてでも2人に関わりたかったんですね。

何も起こらない生活に孤独を感じていたのでしょう。そういうキャラクターの吉澤にとって人探しは自分のキャリアを生かせるし、誰かの役に立てるかもしれない。それが彼のモチベーションです。

――役を演じるにあたって、事前にこの人物にはこうした動きをさせようと思うものなのですか?

いや、僕はあまり細かい決め事はなるべくしないようにしているんです。映画の撮影現場って面白くて、いざ行ってみると脚本を読んで想像したものとまったく違ったりします。

むしろ、環境や状況をイメージするのではなく、自分の中で、演じるキャラクターをどこまでイメージできるかが重要です。例えば吉澤なら、まず吉澤という男の人となりを知る。そうして、吉澤ならこういうシチュエーションに出くわしたときに、こう感じるだろう、こんなリアクションをするだろうなと。

「勝手にリアクションしてくれる」が芝居につながる

【國村】キャラクターの人となりをイメージしておけば、現場で不測の事態が起きても、自分の中に新鮮なリアクションが起こる。僕じゃなく吉澤が勝手にリアクションします。それが芝居というものにつながっていく。

芝居という仕事は、空気を生む作業だと思うんです。それは台詞のやりとりであったり、お互いの目線の交わし合いであったり、いろんなことを通して場の空気を生む。その場の空気を、どうやってホンマもんとしてそこに再現するか、作り出すかなんです。

『再会の奈良』より
再会の奈良』より

――『再会の奈良』では國村さんは日本語、陳おばあちゃんは中国語、シャオザーは日本語と中国語をしゃべる。一方で永瀬正敏さん演じる寺の管理人は耳が聞こえないからしゃべれない。お互いの意思疎通ができにくい設定になっていることもあって、セリフを使わない表現も多く出てきました。

言葉のわからない『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)の世界ですね。お互いのコミュニケーションは、言葉という便利なツールでやりとりするのですが、登場人物はそれができない状況にある。ポンフェイ監督は陳おばあちゃんが言葉のわからない日本を旅すると、いろいろな壁にぶつかることを想像したのでしょう。