「社会が回らなくなるから」という声は筋違い

「ウンザリ、もうたくさん」という気持ちは分かる。私も同じだ。自分自身が正常性バイアスに陥っているのではないかと思ってしまうこともある。しかしその不自由な生活は、新型コロナが5類でないことが原因ではない。不自由な生活に対して、行政、政府、政権が必要かつ十分な補償を行わないことが原因なのだ。その補償を十分に行った上で、感染防御体制、迅速かつきめ細かな治療フォローアップ体制を十分構築した上でなければ、元の生活には戻れないのだ。

「社会活動の維持が困難になるから5類に引き下げよ」との声もある。カゼ扱いにすれば社会を止めずにすむということだろうが、それはコロナ以前の市販のカゼ薬のCMにあった「カゼでも休めないあなたへ」という社会への回帰そのものだ。カゼよりも感染力の強いウイルスでこのようなことをやれば感染者はさらに増加し社会は止まる。考えてみるまでもない。

これまでの後手後手の不作為を棚に上げて、行政も政府も政権も、検査も診断も経過観察も治療もすべて自分でやるようにと私たちに迫ってきている。究極の自己責任社会だ。「もう国に頼っても仕方ない」と諦めてしまう気持ちになってしまうかもしれない。

しかしここで自暴自棄になり感染拡大を許容する方向に舵を切れば、老若男女問わず、余力のない者から淘汰されていく。それはひとごとではない。明日は自分自身に起きるかもしれないのだ。それでも良いのか。

自己責任社会を許せば、弱者から淘汰されていく

「今すぐ5類に」と言っている人からは、5類にすれば現状をどう解決できるのかという具体的な話が一切出てこない一方で、言葉では「基礎疾患のある人、肥満、高齢者というリスキーな人に特化せよ」とのヒューマニストぶりはアピールされる。だがその「選択と集中」はその他の弱者をひとまとめにして切り捨てていることに他ならない。

医療費についてもそうだ。現行では公費負担となるところ、5類相当となれば公費負担とする法的根拠を失う感染症扱いとなる。それについて「今すぐ5類に」の人たちは「とりあえず期間限定で公費負担を続ければよい」などという。まさに本性見たり。すなわち「いずれは自己負担とすべき」という考えだ。

つまり公的負担、国家の責任をいかに期間限定、最小限にとどめるかということだ。医療費の負担が困難な経済的弱者は真っ先に切り捨てられることになろう。「今すぐ5類に」と言っている人たちの言葉に騙されてはいけない。

おや、そう言えば「今すぐ5類に」と声高に語っている政治家と彼らが所属する党派は、自己責任論者とくしくも同じか親和性が高いじゃないか。果たしてこれは単なる偶然と言えるだろうか。

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