学生時代以来の「人生の選択」を迫られるのが50代
しかし、ここで考えてみてください。なぜ焦るのかといえば、「まだ、何かをやり遂げる時間がある」からに他なりません。
もう取り返しがつかないのなら、後悔はしても「焦る」という感情は持ち得ません。何かができるのに、何をやっていいかわからない。つまり、50代の「焦り」の正体は「迷い」なのです。
実際、50代に与えられた選択肢は数多くあります。定年後再雇用で65歳までずっと今の会社にいることもできれば、早期退職に手を挙げて別の会社に移ることも可能。定年後はすっぱり仕事を辞めて趣味に生きることも(お金さえあれば)可能ですし、起業して個人事務所を作り、80歳以上になっても働いている人もいます。
おそらく、これほどまでに多くの人生の選択肢が与えられるのは、学生時代以来ではないでしょうか。行きたい学校や勉強したいことを選び、やりたい仕事や入りたい会社を選ぶ。そのとき以来の人生の選択を、50代は突きつけられているのです。
ですが、焦りの正体が迷いであるとわかった以上、そのワクチンは明確です。それは「すべきことを決めること」。つまり、自分は50代で「これしかやらない」と決めることに他なりません。
すべきことが決まれば迷いが消え、そして、焦りも消えていきます。
会社に忠誠を誓っても、それは結局片思いに
「50代でやることを決める」ために、大前提としてお伝えしておきたいことがあります。
それは、会社勤めが長いビジネスパーソンは、「会社人間から脱却する」という意識を持つべきだということです。「何事も会社優先」から脱却する、と言い換えてもいいかもしれません。
思えばサラリーマンの人生というのは、会社に振り回される人生でもあります。辞令一つで時には海外にまで転勤を命じられ、「人事評価」というあいまいなものに振り回され、いくら自分が頑張ったところで、会社の業績が悪化すればボーナスの減額を余儀なくされる……。
そうした組織の酸いも甘いも経験しながら、50代になればある程度の地位に就き、定年になれば十分な退職金がもらえる。それが昭和の時代の「会社人間」のゴールでした。
しかし、今は違います。役職定年の名のもとに管理職から引きずりおろされ、出向で別の会社にやっかい払いされることもしばしば。退職金も年金も、今のままでは十分とは言えない時代になっています。ならばと定年後再雇用で働き続けても、給与は大幅ダウン……。
つまり、いくら「会社第一」と忠誠を誓ったところで、会社はもうあなたを守ってくれないのです。それでも40代までは会社に尽くすことで出世の道も開けていましたが、50代になればその芽もなくなります。にもかかわらず、会社に滅私奉公し続けても、それは悲しい片思いに終わるだけです。