資産約3000億円の巨大財団
日本財団は総資産約3000億円と言われる巨大財団である。競艇の売上金(2020年で1兆9000億円)の2.6%(2007年までは3.3%)が自動的に日本財団に入るという「モーターボート競争法」の特殊な仕組みで成立している「民間財団」である(*2)。この巨大財団の創設者が、陽平氏の父・笹川良一氏である。良一氏が死去した際には、新聞各紙で「右翼・競艇・『日本のドン』」「A級戦犯で慈善家」などの見出しが躍ったという(*3)。
その父・良一氏の財産と負債を相続するとともに、社会活動家としての「良一の運命を自分の宿命に」したと評される(*4)のが、陽平氏だ。1981年に東京都モーターボート競走会会長・全国モーターボート競走会連合会副会長に就任して実父を補佐し始めた後、1989年に日本船舶振興会理事長に就任した頃から、2005年の会長就任も経て、長きにわたり財団を取り仕切ってきた。内紛劇があり訴訟もあったし、財団の在り方について国会で質疑がなされたこともあるが(*5)、陽平氏に深刻な問題が指摘されたことはない。
その笹川陽平会長が、ミャンマー国軍ミン・アウン・フライン最高司令官と会談し、アメリカ人ジャーナリストを解放させた。にわかに捉えがたい性格を持つニュースだ、と日本のマスメディアが受け止めるのは、無理もない。
“あくまでも個人として行ったもの”と説明
笹川陽平会長は、「ミャンマー国民和解担当日本政府代表」の肩書を持つ。クーデターの遠因になった昨年のミャンマーでの国政選挙では、選挙監視団を率いる役目も担った。2月のクーデター勃発後には、外務省の事務次官をはじめ担当局長・課長が、次々と日本財団の笹川陽平氏を訪れている。笹川会長こそ、日本がミャンマーとの間に持つ最も太い「パイプ」だ。
しかし、笹川会長は、今回のフェンスター氏の解放につながった訪問は、あくまでも個人として行ったものだと説明している。日本政府も、笹川会長のミャンマー訪問は政府とは全く関係がない、と強調している。
11月20日の朝日新聞の記事によれば、笹川会長は、「来日した米国の政府高官から解放に向けた仲介役を頼まれた」、と語っているという(*6)。しかし、米国政府からの公式説明はない。また、この「米国の政府高官」が誰なのかも語られていない。「政府高官」が米国政府の意向を受けていたかどうかもわからない。